『天気の子』(2019年)

『天気の子』2019年

 

 鉄道と東京に興味がある人と、それから刑事ドラマとか推理小説とかも嫌いじゃない人は一度観てみましょう。それ程劇場で観る効果の大きい作品ではないかもしれませんけれど。

 以下はいわゆるネタバレです。

 

 さて御覧になって如何でしたでしょうか。いやあ、あの上野駅の特急「ゆうづる」発車前に主人公たちが受け取った手紙について話している時に、高杉刑事が出くわすあのシーンはなかなかでしたね。

 

 え、今はゆうづるは廃止されていてそんな西村京太郎『終着駅殺人事件』みたいな設定はありえないし、『特捜最前線』で西田敏行が演じていたのと同名の刑事は出ていないって?これが大嘘とお分かりの方は以下お読み下さい。例によって二重に警告しましたので、宜しく。

 

 個人的にはああ何か『特捜最前線』を連想するなあ、ってのは意外に大きな部分を占めているかもしれないのでまずこれを軸に書いてしまってから、東京とか鉄道とかについてつらつらと。

 

 最初意外にストレートに犯罪とかアウトローが描写されているのに驚いたんですが、あこれはむしろ結構昔の作品だったらこういう風だよな、と逆に納得していった感じで。

 主人公男が偶々拳銃を拾って犯罪行為に進んでいく、なんてもろに1970年代・1980年代の『特捜最前線』的な脚本だなあと。そういう作品は『特捜最前線』だと確か数作品在って、この主人公男のような家出ですらなくてホントの「善良な一市民」が雪だるま式にあれよあれよと拳銃強奪立てこもり犯になっていく作品なんかは印象的でした。

 舞台も新宿歌舞伎町で、その後も断続的に酒の世界、性風俗や性搾取の世界、ヤクザ的な世界などアウトローな領域が示されていった辺りもあの年代の刑事ドラマ風というか。例えば主人公女は一度は生活苦から性産業へ勧誘され、あと一歩で足を踏み入れるところまで行っていますし、もし何かあれば性搾取や性暴力の被害を受けていても何ら不思議のない設定なのは、『特捜最前線』でも結構たくさん性暴力や性搾取、そしてそれに無理解な社会・周囲による二重の疎外、といった問題を扱った事件の話が1ジャンルを形成していたのと続いてそうな軸かなと(この辺りが「分岐」や「エロゲー」といった視点でも論じられているのが何となく分かるところ)。

 

 もう1つ、主人公女たちが住んでいる田端のあの雰囲気が、『特捜最前線』が新宿の高層ビル群の一方で対比的に実に泥臭い、都電沿線や京成沿線や常磐線、京浜線などの敢えて言えば下層的な場を描いているのも何か共通性が有るなあと思ったところで。主人公男が住んだビルの地下といい、最後に主人公男が東京農工大に進学し小金井周辺に住むのとは対比的な場所ばかりだなあと。

 

 それから『特捜最前線』では結構街頭ロケのシーンが在って、今見ると通行人たちまで映っていて面白いのですが、もはや実写作品でこれだけの規模の東京でのロケが不可能になっている中で、東京の具体的な描写を入れていわば疑似的ロケをしているのは、アニメ作品ならではかつ昔の実写作品の要素が入っているとも言えそうな。

 

 もう1つは上京した若者、というこれも1ジャンルを為すぐらい『特捜最前線』では色々な話があって、やはり東京で何かと虐げられたり、あるいは上京した若者間で起こる悲劇という前述の『終着駅殺人事件』的な話があるのですが、性とか上京とか1970年代やそれ以前まで遡れそうな意外に古典的な都市社会の問題軸を扱っている点が両作品を連想するところですし、その相違点がまたいわゆるセカイ系論につながっていくのかなあと。

 

 まあ『特捜最前線』に引き寄せ過ぎな書きぶりな訳ではあるのですが。というのも『特捜最前線』的な編集を加えたら、女性陣はまず性暴力か覚醒剤の被害を受けるでしょうし、男性陣は大体死んで、最後は登場人物大方死んでからあの夕陽のエンディングに入っているでしょうから。この作品、ラストではどうも皆刑事処分を終えてからも、進学も企業経営も出来過ぎなぐらい成功しちゃってるようですし。

 

 その点に関連して言うと、犯罪描写やアウトローの描写が在る割には、ある意味極めて健全な、警察の非行防止の広報のような一種の抑制が効いている気はしてしまいます、言う程狂った世界とその被害者を描いてはいないじゃん、と言いますか、家出の原因は敢えて語られていないように、「息苦しさ」の背景は問われませんし、アウトローの社会に近づかなければそれで被害が防止される、というのはアウトローが生じるまさに狂いの原因には視線が及んでいないところはあるのではと。

 

 さてもう1点この後の話に結び付けて書くと、『特捜最前線』的な設定だったら、例えば途中で主人公女が消えた時に主人公男は警察や社会に対してその恨みや理想から復讐しそうなところですし、『特捜最前線』では左翼集団やテロリスト等の社会へのある種の思想や背景をもった、思想と集団が背景になった事件の話がこれも1ジャンルある訳ですが、この作品ではそういった展開にはならないのだなあと。

 

 世代とか集団とか社会とか政治とかが、恐らく相違点の構成要素になるのではと。

 老人や子どもが出てくる一方での親世代の不在というのは今回も特徴的です。それから主人公2人の出会いで見落としがちですが、若者が世代とか集団としては登場しないのも、『言の葉の庭』とか『君の名は。』で同級生たちがまさに集団として描写されていたのとは対照的なような。凪センパイが小学生だけれど同世代との関係が恋人とか元カノとかの、まさに大人同士の疑似関係だったのはその意味ではなかなか面白いところで。学校という社会集団とも無縁で、糸守町のような地域社会の集団も出てこない。夏美も就活め企業め、と思いながらも何だかんだ個人と家族が軸の御方で同世代との横の関係が見えない。

 

 最終的に、天気を巡って暗黙のうちに人柱を欲する集団意志は、個人の次は一気に全世界まで飛んじゃって、階層的な集団構造は恐らく存在しないし、そこには政治もそれと結びついた社会思想も多分ないのかなあと。

 『シン・ゴジラ』とそれが背景とした『帰ってきたウルトラマン』では、怪獣を倒すために東京と都民を犠牲にするか否か、という選択を巡る思想と政治勢力の対立が在った訳ですが、この作品では天気と東京をどうするか、という政治はない。『シン・ゴジラ』の国会前で賛否両論のデモ隊が居た、というような場面は東京が水没してからでも存在しないという。『君の名は。』で宮水父が町長として最終的には三葉に頼った避難指示を出させた、というのは今振り返ると、てっしーが多分に陰謀論的ながら建設業と地域政治の構造を語っていたのと合わせて、なかなかに政治的だった訳だなあと。

 この作品の東京という世界には政治思想も政治集団もない、というのはかつて革新自治体として東京が一国史とは一線を画した政治史を有し、東京をどうするかという構想を巡って地域政治が展開されてきた都市史を振り返る時、東京を扱った作品としてこの映画が結構歴史的な意味を有する点かなあ、などと。

 それから『君の名は。』の隕石に続いて、今回の雲も別に敵集団でも無い、ゴジラのように明らかに人間集団の外側にある存在でもないのもまた社会とか集団とか政治の不在だなあと。

 この作品結構映画版『風の谷のナウシカ』を連想せずにはいられないのですが(服の入れ替わりによる脱出の場面は、作っている側も絶対念頭にあったような気がする)風の谷とトルメキアとペジテといった集団みたいな要素や、人間側と腐海王蟲側との関係みたいな領域がないのがこの作品の特色でしょうか(というよりもセカイ系ってそういうものなのでしょうか)。

 警察が出て来てもパトレイバー的な裏事情とか、暗闇機関的な超法規的存在とかは全然出てきませんし。というか『踊る大捜査線』的に言えば拳銃所持の逃走犯なのに最後まで所轄署の刑事たちに任せているのかね、というやや不自然なぐらい純粋な刑事警察描写ですわな。

 

 以下、細部関連。

 倍賞千恵子が東京という町の歴史を語る老女というのは、東京で都電の運転士の子として生まれ『下町の太陽』や『男はつらいよ』シリーズなどで下町の女性役を演じてきた彼女の経歴と思いの外合っていて、結構納得の起用。そういえば神木隆之介とは『ハウルの動く城』では疑似家族関係役だった訳だけれど、今回は祖母と孫役で再共演な訳か。

 

 鉄道描写については冒頭の電車の走行音から始まって、代々木の分岐点と田端の2か所、そして目白駅南方から新宿駅までの主人公男激走シーンと今回もなかなか。遂に『言の葉の庭』以来の中央総武線各駅停車が主役の座を失い今回は山手線内回りにスポットが当たったのは少々意外だったけれど。

 主人公たち3人の逃避行、池袋の山手線で足止めというのは一体田端からどこへ向かって出発した設定なんだろう。まあ運休続出の日だったので止む無く一旦内回りで池袋まで出たのだろうか。

 中央総武線緩行線といえば、『君の名は。』組が結構出てきたのに(四葉だけ見落としていたけれど)、『言の葉の庭』組が雨がミソの作品なのに再登場しなかったのはちょっと残念。視聴済み層の違いもあるのかもしれないけれど、カメオ出演としてはそれ程不自然でもないので入っていても良かったのでは。

 脚本的に上手かったのは凪関係全般。最後の登場シーンまで意表を突きつつ、結構色んな場面で話を動かしていった役回りだったなあと。派手なところもあるけれどクレバーで、帆高の東京農工大に対し慶應か一橋大辺りに行きそう。

 

そういえば『天空の城ラピュタ』のパズーとシータとの対比とかも思わないでもないですが、もう長すぎるのでこの辺りで。