マイク・ロイコ『男のコラム』1

  • マイク・ロイコ 井上一馬訳『男のコラム』1 河出文庫、1992年

 これも、荻原魚雷の『古本暮らし』晶文社、2007年や『活字と自活』本の雑誌社、で紹介されていなかったら、古本屋の棚で見つけられなかったであろう一冊。本文は282頁しかないけれど、108円だったのだから安い。荻原も記しているように、品切れなのが惜しい。おかげで私も2巻を探し求めて、この数か月ブックオフに寄った時には海外文庫コーナーで河出文庫の棚を探し回っている。訳者も名の知れている方なのだし、河出書房新社は復刊しないものだろうか。


 「人生派コラムニスト」としてのロイコの魅力については、アンディ・ルーニーなどと共に荻原本で紹介されているので、詳しくは前述の『古本暮らし』『活字と自活』を参照頂くとして、幾つか加えるとすると、結構ロイコは戦闘的で、頑固で、保守的である。これには日本の新聞コラムとそのコラムニストとして、例えば『天声人語』の文章と、その歴代筆者のような新聞記者たちの印象しかないと、違いに戸惑うかもしれない。別にどちらが良いというものでもない、個性なのは言うまでもないけれど。


 まず最初の文章で、ロイコは女優ジェーン・フォンダの「リベラル」な姿勢に早速噛みつく(「男の」という言葉が冠されるだけのことはある)。
 他の文章でも免許証の係官との口論を紹介し、言う事を聞かない機械との格闘を振り返り悪態をつく。

 午後までベッドの中で本を読んでいる荻原魚雷が、ロイコに共鳴しているのは、自身と好対照だからだろうか。飛行機に乗りなれない魚雷さんは想像出来ても、飛行機への恐怖から一杯引っ掛けて乗務員や他の客に喚きまくる魚雷さんなどは全く思い浮かべられない。


 こう書くと今年散々色々な騒動を起こした百田尚樹閣下のような「保守」を想像される方もおられるかもしれないが、いやいやロイコはさすが保守言論人としての筋が一本通っている。
 フランク・シナトラから圧力の手紙が来れば、ロイコはそれを全文引用した上で、皮肉交じりで紙面で反論しその圧力を跳ね除ける。
 酒や結婚に関する記述についての反論が来れば、更に徹底した主張と根拠を面白可笑しく挙げて、再反論する。
 間違っても「冗談や」等と自身の書いたことを否定したりはしないし、どこかの政党の力を笠に政治的な力で対抗しようとはしないという訳だ。コラムの書かれた1970-1980年代、保守的なロイコの投票先となると共和党だったはずなのだけれども、レーガンは後述するロサンゼルスへの悪口の一環で「欠陥政治家」呼ばわりだし、ニクソンも生まれ変わった時の夢としてスポーツライターになりたいと語ったことをネタの餌食にされて、「ニクソンの野球解説」はいわば「もしもニクソンが野球の観戦記を書いたら」というパロディであり、演説での強弁ぶりをロイコに茶化されている始末である。


 ロイコのコラムの特色として、『シカゴ・トリビューン』掲載の、シカゴという都市が大きな要素となっているという点も挙げることが出来るだろう。シカゴ生まれのロイコは、東海岸のニューヨークや、西海岸のロサンゼルスをシカゴと引き比べてしばしば批判の対象とし、シカゴについて熱く語る。多分ロイコも客観視はした上でだろうけれども、「アンチ・ヤンキース」ではニューヨーク・ヤンキースやロサンゼルスのチーム(多分ドジャーズだろう)について取り上げる中でどちらの都市も徹底的にこき下ろしている。
 別のコラムでも、しばしばシカゴ・カブスを応援している描写が含まれるけれども、一方でロイコのシカゴに関するコラムの面白いのは、単純なシカゴ礼賛ではなくシカゴに関してもその暗部について、皮肉っぽい視点が向けられている点だろう、カブスについても「万年最下位」であることをあけすけに記している。ニューヨークのマフィアたちの抗争に呆れて見せる一方で、シカゴのギャングたちの恐るべき過去についても記しているし、デイリー市長についてのコラムは「讃えて」という表題なのに、シカゴの都市政治の暗部を扱ってもいる。文学者オルグレンへの賛美は同時に、彼を冷遇したシカゴに対する批判でもある。

 といった訳で、シカゴに興味のある方には御一読に値する1冊と言える。


 しかし創作との境界が曖昧な話、特に一般の市民が体験した不思議な逸話も少なくないのが、日本の新聞コラムと違っていて面白い。まあ日本の新聞コラム、特に某似非保守系の新聞のコラムには創作を通り越した妄想も少ないので、最初から創作も含むことが伺える方が、余程読者には親切なのかもしれないのだけれど…。