『シリーズ大学6 組織としての大学』岩波書店、2013年

  • 『シリーズ大学6 組織としての大学 -役割や機能をどうみるか』岩波書店、2013年

まず編集委員の一人である広田照幸が「序論 大学という組織をどう見るか」で書いているように、とかく大学組織を民間企業と同一視して経営改革を求める議論が一般には強いけれども、意外に大学という組織は複雑で階層的な構造を持っているということは案外認識されていない。それぞれの分野の専門家としての教員が居て、その教員達の所属している講座や学部(部局)があって、教授会等の教員集団による機構と学長以下の経営陣とが並列しているという具合に、教員の組織だけでも結構複雑であるということが提示される。
その教員集団に加えて、学生が居り、事務職員が居り、更に大学外から文部科学省自民党文教族、財界といったところが影響を与えてくるという、大学組織の内外を論じた巻ということになる。



江原武一「1 大学と国家・市場」は、一言で言えば近年の「大学改革」の概観とも言える。この論考だけでも、近年の日本における大学改革の評価というものがなかなかに難しく、多方面に及ぶ政治や社会の在り方全般と関わった大問題であることが読み取れる。この2015年の文部科学省による人文・教育系学部の再編という「改革」というものが短脈であることを再確認し徒労感を味わうことが出来る論考ともいえる。



小沢弘明「2 大学の自立と管理 -新自由主義時代における」は新自由主義という視点を軸に、大学がどのように知識資本主義や国家による新自由主義的な管理の中で自立性を喪失しているかという現状を提示している。現代日本政治史における、新自由主義を巡る議論と密接に結びつきつつ、逆に現代日本新自由主義全体を大学の問題から問い直すという発想の下に展開されている。



羽田貴史「3 高等教育のガバナンスの変容」は、いわば政治過程論とでも言うか、大学政策を巡る国立大学・私立大学・文部省→文部科学省自民党文教族・財界といった諸アクター間での政策対立を、戦後改革から現代まで振り返るという内容。1960年代の行動高度経済成長期とか1980年代の中曽根政権時代とか、色々と参考になるのだけれども、そもそも「ガバナンス」以前の政策的介入の是非というか、大学-国家間の関係とかは、他の論考に委ねてしまっているようで論じられていない点は少し気になった。



南島和久「4 NPM・行財政改革と大学評価 -評価社会における大学と組織」では、近年行財政改革の一環として重視されてきた大学評価について、批判的に再検討している。しかし、大学評価ぐらい当事者からも研究者からも現状が批判されている大学の課題も珍しい気はしてしまう。



大学を構成する集団の中で、とかく軽視されがちだった大学職員について取り上げたのは大場淳「5 大学職員の位置」で、アメリカ等の大学に比べて、専門職としての大学職員の地位が確立していない現状や、大学・高等教育論研究でもなかなか蓄積が乏しかった研究史が伺える、良いまとめになっているように思えた。



井上義和「6 大学構成員としての学生 -『学生参加』の歴史社会学的考察」は、本来もうちょっと前提としての1960・70年代の学生運動について基本的なところを説明するなり、歴史学寄りの叙述と史実検証なりも加えるなりして欲しいと感じたりもするのだけれども、1960年代の学生運動の時代と現代との学生の位置づけの違いが対照的な、なかなか物語的にも読める面白い一文となっているようには感じられた。筆者は1960年代の大学共同体論の中での学生参加とは異なる、市場化なり社会的包摂なりの視点からの「学生参加型」を現代の大学に見出しているけれども、2015年に提起された18歳以上への選挙権拡大問題は、多分こういった論点と結びつく動向なのではないかと感じたりもしたのだった。