日本学士院会員の日本学術会議会員経験について(第1分科の場合)

 日本学術会議会員の任命を巡る一連の事態については、まず6名のみを任命拒否する際に学問業績や政治的・思想的言動への行政側の恣意的な介入があったとすれば到底許されることではないと考えますし、そういった点を説明するに足るだけの情報公開や公文書管理がしっかりと行われているかといえばやはり非常に心許ないです。

 日本学術会議は学問の自由の対象に含まれない、と今回の介入を正当化する方々が、では仮に明らかに学問の自由の担い手である大学に対して政府が同様の恣意的な介入を行ったらどうなるか、という問題を考えた時に、なにゆえ政府が大学に対しては介入しないだろうと安堵して納得できておられるのかが不思議であり、学術会議への介入に躊躇しない政権がはたして大学への介入に躊躇するだろうか、とは感じざるをえないところです。

 資金を提供しているのだから唯々資金提供側の意向に沿えというのは下衆の論理だと思いますし、単なる徴税配分機構であり国民全体への奉仕者たるべき政府が政府のためという目的を研究に持ち込むようでは、公的な研究なり文化振興なりの目的は政府の為ではなく国家と国民全体の為という最低限の建前すら喪失したように思えてなりません。

 そして普段は中国や北朝鮮の政治体制・基本的人権の侵害を問題とする自称愛国似非保守界隈が、自国の政権については政府批判への反発から自由のことは忘れたかのように政権擁護・学界批判を展開しているのも何だかなあであります。

 さて、そういった政権擁護・学術会議批判において少なからぬ位置を占めたのが、日本学士院の終身年金を今回の問題と絡めて学界の「既得権益」として批判する主張でした。長島昭久衆議院議員、音喜多駿参議院議員、門田隆将、高橋洋一などなどによって展開され、フジテレビの平井文也上席解説委員によるテレビ番組内での言及でその流布は頂点に達した感があります。

 この議論が任期制・70歳定年で210名の定員である日本学術会議と、終身制で定員150名の日本学士院という、全くの別組織を敢えて混同させ、かつ制度面でも学士院会員の就任要件に全く学術会議会員経験が盛り込まれていないように直接的な関係が無いという点を無視した実に雑な批判であることについては、既に多くの反批判が為されております。例えば政治哲学・政治思想史の分野で言えば、南原繁福田歓一は学術会議会員と学士院会員の双方の経験者ですが、丸山眞男は学術会議会員の経験が無く学士院会員となっています。この点に関し、完全に両組織を混同した細野豪志衆議院議員は投稿削除・陳謝に至っています。

 

 さて制度面での両者の関係の薄さは明らかですが、でも日本学術会議会員経験者が日本学士院会員に良く選ばれていてやはり「既得権益」なのではないか、という反論があるようです。例えば高橋洋一はルールとしてではなく「そういうことがよくある」というレベルでは未だ両者を結び付ける批判は成立するという立場は放棄していないようです*1

 実際のところ、日本学士院会員はどの程度日本学術会議会員の経験者なのでしょうか。制度面での関係は薄くとも、実際にはある程度学術会議会員経験者が学士院会員となっているのかどうか、前置きが長くなりましたが本記事の目的はそこを調べてみるという点にあります。

 以下は、日本学士院第1分科(文学・史学・哲学)の学士院会員26名に調べた中間報告です。

 

第1分科 定員30名 欠員4名

現会員は26名

その内、

日本学術会議会員経験者 4名  (久保正彰・青柳正規苧阪直行松浦純)

日本学術会議連携会員経験者 3名 (伊藤貞夫・深沢克己・塩川徹也)

会員・連携会員の経験なし 19名 (中根千枝・原實・田仲一成・荒井献・武田恒夫・斯波義信・久保田淳・吉川忠夫・御牧克己・難波精一郎・玉泉八州男・間野英二・田代和生・興膳宏・揖斐高・川本皓嗣・東野治之・佐藤彰一・伊藤邦武)

 

 定員210名の学術会議会員に対し、1000人以上いる連携会員は今回十分には調査できておらず、もしかすると経験なしとした何人かが連携会員であった、という可能性はありますので、その点でもあくまでも中間報告です。ただし、『官報』に当たったので、日本学術会議会員の経験者は確実であり、もしも4名以外の22名が学術会議会員だった履歴をご存知の方は、宜しければ『官報』の掲載号や学術会議の名簿、就任年などをお伝え下さったら訂正いたします。

 

 以上から明らかですが、連携会員まで含めても学士院会員は意外に学術会議での経験を経ずに任命されています。26名のうちのたったの4名しか学術会議会員を経験していないのに「そういうことがよくある」とはとても言えませんし、この状況でどう学士院は学術会議の「OB組織」「兄弟組織」と言えるのか、全く事実に基づかない雑な議論を政権擁護派が展開していると改めて言わざるを得ないです。

 勿論第1分科以外の分科でこれと同様の傾向が見られるかどうかは別ですが、とりあえず第1分科に関する中間報告でした。

 

 

 

『ガ―ルズ&パンツァ― 最終章』第2話

 割と最近になってようやく第1話を観たので、第2話はまたしばらくしたらレンタルで観よう…と思っていたところ、偶々検察庁法改正案反対のハッシュタグをツイートした水島努監督のところに似非保守の人々、それも某ガルパン協力者までが反論のツイートを寄せるという一件があり、アニメ監督が政治的発信をしてはならないかのような議論に辟易して、それへの抗議もあってつい課金して映像を観てしまった。そこで例によってだらだらとメモ。

 

 構成自体はごくオーソドックスながら、相変わらず細部の作り込みぶりは十分で、TV版を楽しめた層ならば間が空いていてもそのまま楽しめるので、一見の価値あり。以下は作品の中身に触れるので未だの方は一見の後どうぞ。

 

 いやあまあダンケルクの奮戦はともかく、ベアルン搭載の魚雷が活きる日が来るとはでしたねえ。最後はまあH部隊がとどめをさすのはしょうがないというか…という記述が大嘘だとお分かりの方は以下をどうぞ。二重に警告しましたので、一つ宜しくどうぞ。

 

 まず相変わらず構成はある意味ワンパターンなまでに、1回戦終盤→試合間の大洗一同の動き→他校1回戦のダイジェスト→2回戦中盤まで、というTV版の複数話をまとめたようなシンプルなものですが、分かっていても最後は良い所で切るなあ次回も観たいなあ、という感じなのも確かです。

 

 それぞれの細部の作り込み具合も例によって大したもので、とりわけ戦車戦については、1回戦の終結部、2回戦の序盤から中盤の戦闘シーンはまあ良くぞここまでという、一気に畳み掛けるような力作になっております。

 

 今回の1回戦は何と同士討ちという、まあ邪道と言えば邪道なのですが、TV5話でアリサの無線傍受に王道の抗議ではなく、相手の不文律に偽交信という邪道で対抗しているので、そこはまあ今回そんなに逸脱した感じは無く、追い詰められたら何でもひねり出して躊躇しないのがみほ流とは言えそうなところで。

 

 ただ最初に観た時は、いやいやさすがのみほと優花里もまさかあそこまでの本格的同士討ちに発展するとは思っていなかったのでは、と前述の邪道という批判には否定的だったのでした。観返すとそど子が撃破が目的ではないと明言していて、これはつまり同士討ちの誘発のみを目的としていて、1両や2両の撃破であるとか、同士討ちとまでは行かないまでも敵味方識別に混乱をきたした有利な状況で攻めかかるとかいう水準の話ではなかったという。2回目を観て先程の弁護は取り消し、みほと優花里はなかなかの謀将になりつつあるのだなあという見解は抱かざるを得なくなったところでした。

 

 逆に通説に違和感があったのは、マリーの名隊長振りは同士討ちを止めるハイジャンプに所謂ユパ様仲裁とそこからの反攻については明らかなのですが、そもそも同士討ちが拡大するまで全く戦況把握をしていなかった迂遠さはさすがにどうなのかと。1両行動不能車が出ていた段階で押田・安藤の両者に喚問していたらあそこまで同士討ちが致命傷になることはなかっただろうにと。

 

 その点、大洗もTV版4話でろくに状況報告も出来ず敵前逃亡で撃破された初陣を経験している訳ですが、その後は各車が行動不能時には直ちに報告を出して隊長車に情報共有している描写が毎回のようになされている辺り、やはり基礎基本として意味があるのだなあと。隊長が現有戦力とその配置を把握するというのは王道ながら怠るとエラーになる要素と言えそうです。

 

 この辺り、マリーに限らず隊長のマリーにも報告を上げようとせず、専ら両小隊長に指示を仰いだ両小隊の隊員にも問題はある訳ですが、小隊単位の指揮系統分断を解消できなかった、また両小隊から兵力を抽出せず隊長直属の兵力を設けなかったことも含めて、マリーの限界ではないかという気はします(この点劇場版では独断専行気味の突撃が目立ったものの、この最終章第2話の後半では西隊長の下で玉田・細見の両小隊長が隊長と随時協議し命令を受領した上でより細かい指示を出すという、ちゃんと中級指揮官らしく対応していたなあと)。

 

 また邪道でえげつないみほ達は、同士討ちの誘発で満足するだけではなく同士討ち前からBC自由側の各車の位置をくまなく調べているのも、却ってあざとい印象かもしれませんがある意味基礎基本を徹底していて、それは勝因の1つに違いなかろうと。

 

 それにしても戦車道においてフラッグ車ないし隊長車が完全な休憩状態にある例というのは、公式戦だけでもこれでTV版9話のプラウダに続いて2例目で、相手を舐めていたという側面もあるにせよ、一体車外で完全な休憩状態にあることにそこまでの何か利点でもあるのだろうか、と逆に考えてしまうちょっとした謎です。

 何しろ非公式戦でも、名将ダージリンの下で大洗に不敗の聖グロリアーナですら、劇場版のエキシビジョンで最後にはプラウダとの見事な連携でみほを破っていますが、あの戦いでもダージリン指揮下のチャーチルはフラッグ車にもかかわらず「のんきに外でお茶飲んでた」ことで捕捉され追尾されてしまっているのですから(さりげなく知波単の突撃並みのボーンヘッドだと言われれば、聖グロリアーナ贔屓としても全く弁護のしようがないような)。一体なぜ完全な隠遁に努めるなり、乗員も即時逆撃可能な待機態勢を取るなりしないのか、これは振り返るとかなりの謎です。

 

 日常パートではまたもボコミュージアムのシュールさが秀逸。たらし焼き屋のポスターといい、料理描写といいまあ作画色々頑張ってるなあと(あのカチューシャのキャラのポスターってあれロシア語で何て書いてあるんでしょうね、何かマリオっぽくもありましたが)。

 

 他校、ナオミが遠距離で一撃で仕留めるのって何だか『荒野の七人』のジェームズ・コバーンみたい。

 あと試合シーンでダージリンオレンジペコが登場しているので目立たないですが、とうとうこの2話では2回戦の観戦者役がBC自由学園組になってしまい、この2人組の連続観戦記録が途絶えてしまったような。まあ1話ではアッサムも含めて来て1回戦の観戦に来ていたので、3話では再登場するのかもしれませんが、贔屓の身としては大会の勝ち残り以上にこの観戦者枠から外れるのは、大洗について的確に評価できる好敵手という位置づけが無くなっちゃうようで残念なところ。

 

 2回戦、そういえばアズミって劇場版だけの外見だとケイの先輩っぽいサンダースOBな感じでしたがBC自由OBだったんだなあと改めて。

 

 2回戦の試合会場、これって『装甲騎兵ボトムズ』のクメン編ぽいなあとは思ったのですが、日本とフランスということで仏領インドシナインドシナ半島ということかなあと。あと蝶野教官が今回も審判長していますけれど、いわば大洗でコーチもしているのだから普通は直接の利害関係者ということで担当を外されるんじゃあ…。劇場版で役人が蝶野に抗議していたけれど、そもそも大洗のコーチなんで中立的じゃないって審判長忌避の申し立てをされたら案外反論が難しかったような。そして今回も登場しているのにまたも台詞のない審判C子、漫画作品の1つだとちゃんと台詞があって、稲富ひびきという名前まで付いていたのをようやく最近知ったのでした。

 

 河嶋が食事もせずに索敵しているの、さりげないですがこのシリーズに入って彼女も多少成長しているんだなあという細かい描写で。もう1つ、澤梓が食事しながらも全く抜け目なく見張りをしていて、肝試しは試合中だからまだだと沙織に言われた時他の1年生たちが「はーい」なのに対して一人だけ「すみません」と謝っているの、後段の敵を見破るシーンと合わせて益々車長として伸びていっていてそりゃまあ次期隊長の呼び声も高くなるわなと。

 

 知波単の歌謡突撃、ちゃんと蓄音機だか旧式ラジオだかでメロディ掛けているのは意外とモダンだなあと。何せBC自由もプラウダも良く考えたらあれ作品世界の中ではアカペラですものね。突撃狂と男っぽい肝の座り具合を除くと結構なモダンガールの集団という。

 

 風紀委員の場面は例によって一人三役演じている井澤詩織お疲れ様というシーンですが、普段ちょっとやる気なさそうなパゾ美の気合の入ったホラー声からの、全く怖さの無いゴモヨのほんわかさの対比が短時間なのに振れ幅があり、出番こそ少ないもののOPに続いてゴモヨの品の良い可愛さが出ているなあと(案外大洗で聖グロリアーナ風が一番しっくりくるのはこの人だったりして、やや和風寄りだけれど)。

 

 戦車戦のシーンは、敢えてみほの指示は作画のみで台詞抜きとして指示内容は隠したりと、これまで他のレビューでも指摘されているように、確かに以前のように主人公のあんこうチーム、あるいは大洗中心の視点からの描写ではなくなっているなあと。

 

 ラストシーン、西の台詞の直前で、福田がちゃんと後方警戒しているのと、玉田が以前の河嶋化しているのがまあ芸の細かいところで。エンディングのラストが今回はマカロンなので、次は和菓子かなと。

 

 個人的にはOVA・映画での6話シリーズという規模感がやはり勿体ない気はしていて、『あぶさん』とか『野球狂いの詩』みたいに半ばサザエさん時空で延々試合していたり、あるいは『テニスの王子様』みたいに日常練習回もそこそこあるような、何クールか使った方が日常パートやキャラの多さはより活きるんだろうなあと。まあキャラの描写の弱さとか、戦車戦の作画の負担から尺が延ばせないとかの問題はTVシリーズ以来なのかもしれませんが、それにしても『テニスの王子様TVシリーズって178話もあったのかとか、『ドカベン』の163話はまあ納得としてもアニメ版は短かった印象のある『キャプテン』ですら2クールあったのだなあという辺りを連想せざるを得ず。

 

 そういう意識があるので、シンプルに3話で2回戦終結、4話で準決勝終結、5・6話で決勝戦て感じになるのかなあとは思っているのですが、逆にid:c_shiikaさんのブックマークにあったように、大洗以外の組み合わせの試合をちゃんと描くという発想はそれはそれで確かに有り得るなあと。

 

 それから恥ずかしながら1話で見逃したのが、観客席に役人(あるいは元役人)がいること。良く見ると船舶科の艦底部の不良2人組が居たり、知波単にいかにもな応援団が居るのに相変わらず大洗には生徒の応援団はないのだなあとか、その代わり大洗の鉢巻きを締めた町内会関係者と思しき人達、それから大洗での試合の度に登場する旅館のご主人たちが居たりと、1コマでの情報量はかなり多いと改めて。まあこういう細部まで作り込むので、製作スケジュール自体はTVシリーズに続いて最終章でも延び気味で、完結は早くとも未だ数年掛かりそうだが、それだけの製作期間も納得の出来を維持しているのは確かで、何だかんだ次話を待ってしまうのですけれども。

 

検察庁法改正に関する公文書管理についてのメモ

 黒川東京高検検事長の定年延長が閣議決定される

 →法的根拠は何かという批判が出る

 国家公務員法の定年延長規定が検察官にも適用可能だという説明

 →従来は適用範囲外という解釈だったではないかという批判が出る

 →小西参議院議員国立公文書館で、解釈を記載した1980年当時の総理府の公文書を発見する

 →人事院の松尾給与局長も、1981年の適用範囲外とした人事院答弁の解釈は継続されているという答弁をする

 

 森法務大臣が、閣議決定前の1月に人事院と協議して法解釈を変更したと答弁をする

 →人事院の松尾給与局長も、以前の答弁は誤りだったとして、1月に法務省との協議があったと答弁する

 →では大臣の決裁は取ったのか、文書を提示するよう野党の小川衆院議員から要求が出る

 

 森法相は口頭で決裁を行ったと答弁し、日付の入っていない法務省人事院の協議時の文書のみが提示される

 →それに対して毎日新聞が情報公開請求を行ったところ、やはり日付の入っていない文書のみ開示され、かつ法務省刑事局は口頭で決裁を行っていたので決裁文書はなく、意思決定過程の議事録も存在しない旨を取材に回答*1

 

 …こう改めて記すだけでうんざりしてしまったのですが、まず決裁は文書主義の原則に照らして、そもそも決裁を口頭で行うということ自体があり得ませんし、公文書管理法及び法務省行政文書管理規則*2に違反ということになります。

 

公文書管理法の第4条で意思決定の過程を合理的に検証することのできるよう、文書は作成するのが原則であって例外として軽微な場合だけ作成しないと定められており、法務省の規則も同趣旨の内容が定められています。そもそも大臣が決裁する時点でそれは意思決定でありかつ軽微な案件でもない訳ですから、口頭での決裁が許される余地は皆無な訳です。

 

従ってこの森法相と法務省刑事局の口頭での決裁、という説明は全くの珍答弁の類です*3。じゃあ公文書管理法の文書作成義務に反した口頭での決裁などを日常的に行っているのか、という公文書管理の大問題で批判を受けることは明らかだからです。いみじくも小川議員の同様の質問に対して人事院の松尾局長が、決裁は取っていないけれども人事官たちの口頭での了承は取った、と答弁していることは、この松尾局長の答弁自体が政権上層部の指示で無理やり言わされているのではないか、本来松尾局長が答弁していた人事院の解釈は不変で従って法務省との協議による解釈変更などなかったのではないかという問題はともかくとして、未だ本来の公文書管理の原則に踏みとどまろうとした説明であることと対比的です*4

 

その後さすがに森法相も口頭での決裁ではなく口頭での了承だった、と答弁したこともあったようですが、肝心の人事院との協議など法解釈変更のための手続きについて正式に決裁を行った、という立場は堅持し、その決裁の文書の有無については口頭で決裁を行ったという説明は維持しており、現に毎日新聞の情報公開請求の際も法務省はその姿勢で対応しているのですから、結局同じような状況です。

 

それにしても驚くのは、これほど公文書管理について無理筋な説明を行ってまで森法相と法務省刑事局が明らかにしたくないというのはどれだけ重大な事実が隠されているのだろうか、ということです。

 

こう言っては何ですが、1月の段階では口頭で了承済みで、手続きの瑕疵があって文書上の決裁は後日になった、と決裁文書などが開示されれば、未だ怪しいなりに公文書管理上はより問題の無い対応も可能だった訳ですが、そういった手すら打たずに口頭での決裁という迷言が飛び出すのは余程のことがあったに違いありません。この口頭での決裁という明らかに批判を受けそうな説明を行うに至ったからには、この公文書管理的には有り得ない恥ずかしい弁明を行ってでも隠したいだけの問題でも起きていたと考える他ありません。

 

有り得る可能性は第1に、実は野党から指摘が出るまでは人事院の1980年代の解釈のことすら把握していなくて、後日その点で批判を受けたので、慌てて法解釈変更の手続きがあったことにした、文書どころか法解釈変更とその協議自体が虚妄だったという凄い事態です。

 

第2はそこまではいかないけれども、協議の内容なり手続きなりにかなりの問題が在って、とても表立って公開できる文書ではなかった、という事例です。ちゃんと刑事局の担当者から課長、局長、事務次官、大臣と全承認権者の決裁を得ていなかったとか、文書の内容に後日の野党からの批判を受けた点がやはり記述されていたとか。

 

いずれにしましても、公文書管理に関する重大な疑義ということで、森法相を始め今回の口頭での決裁なるものに関与した法務省の担当者と幹部の皆さんには、国会での証言などできちんと喚問を受けて欲しいところです。少なくとも本来決裁文書だったら押印している筈の事務次官や刑事局長などには、国会でどういう風に口頭で決裁を行ったのか、証言をお願いしたいところです。まあ本来公文書を作成するのは、後日そういった口頭での追加説明をいちいち行わないでも済むように検証するためなのですから。

 

 

*1:

検察定年延長「議事録」なし 解釈変更打ち合わせ 法務省「決裁は口頭、文書なし」 - 毎日新聞

*2:

http://www.moj.go.jp/content/001255591.pdf

*3:森法相の衆院予算委での答弁は以下のリンクから。それにしても「それ以外については、口頭において決裁することも多いものでございます。」は口頭了承と取り違えて答弁したのかもしれないが、ここまで堂々と文書主義に反した闇決裁をあっけらかんと答弁している事例は、公文書管理法が制定されて以降さすがに初めて観たかも。

国会会議録検索システム

*4:この一事を観て、松尾局長という方は人事院の官僚としては一般的な感覚をお持ちで、当初の答弁が局長自身の正直な見解だったのだろうなあとは思うところで、既に報じられた放心状態の表情や茂木外務大臣からの露骨な指示で席に戻る場面には勝手ながら同情を禁じ得ないところです。

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『ガ―ルズ&パンツァ―』劇場版における「ニュルンベルクのマイスタージンガー作戦」を巡って

以前「はてなハイク」で2016年3月頃に書いていた内容の再録。

 

劇場版で西住まほが作戦名に「ニュルンベルクのマイスタージンガー作戦」と提案して「長い!」と一蹴されているシーンがあるけれど、あの作品はこのシリーズと通底する主題を扱っているので、なかなか脚本の選択が渋い、というお話はもっと誰かが論じても良いところだろうと思う。

 

親方の娘エヴァは歌合戦の勝者と婚約することになったので、エヴァと相思相愛の騎士ヴァルターはマイスタージンガーとなるべく親方たちの審査を受けるが、型破りなヴァルターの歌いぶりは保守的なベックメッサーをはじめとする親方たちに拒絶されてしまう。一人、ハンス・ザックスだけは彼の歌の真価を認め、彼を歌合戦に出場させマイスタージンガーとしての栄冠を勝ち取らせることに尽力しようとするが…。

 

これは結構西住流や戦車道の王道云々という話と、みほの型破りな「私の戦車道」に近いのではないかと。

で誰か余興劇風、ガルパンマイスタージンガーでも書いてくれると良いネタになると思うのですが。
みほがヴァルター、まほがザックス、マグダレーナが沙織でダーヴィットが秋山とか。

『ガ―ルズ&パンツァ― 最終章』第1話

大脱走』ネタが入っていると聞いて、そういえば未視聴だったと漸く観た。しかし2つ目の描写はすぐに分かるけれど、1つ目の描写で『大脱走』を最初に連想できた人は凄い。

 

個人的には2回目の視聴で気が付いた、作中のポスターに第一次世界大戦の某志願兵募集ポスターの文言が入っていることに笑ってしまった。

更に登場人物が増えるとは思わなかったし、学園艦の設定がある意味でいい加減なので非現実的な追加設定をする余地という意味では融通が効くのだなあと。小山柚子が角谷杏のことを会長退任後「杏」と呼び捨てなのは少し意外だったけれど、「桃ちゃん」との対比ということか、芸が細かい。国立下総大学があるということは国立常陸大学や国立武蔵大学もあるのだろうか。

 

相変わらずの各校。プラウダ高校だけ今回も例によってロシア語会話シーンがあって、上坂すみれ演じるノンナの本格化がなお進行中という。

聖グロリアーナのルクリリがとうとうオープニングではローズヒップと同格になっていて出世したなあと。もっとも逆に本編と違って台詞はなかったという。

 

戦車戦の方はミュージカル調合唱まで何時も通りな感じ。ただ1話掛けた割には意外にもほとんど進行しておらず、ホントに全6話で終わるのだろうかというスローペースで次回に続く。

『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』1997年

ピアース・ブロスナンジェームズ・ボンドシリーズの2作目。悪役はメディア王で情報操作による謀略を仕掛けてくる訳だが、1990年代後半なのでハイテク技術は専ら情報の収集の方で使われていて、発信自体は紙の新聞(印刷所で輪転機が廻っている側での格闘シーンが在る)とテレビなのが時代的か。

ダニエル・クレイグ版に比べると全体にシニカルな感じ。最も今見返すとバイク・チェイスのシーンは後のクレイグ版の長いチェイスシーンに通じる原型のようなところもある。

 

ボンド・ガール役が香港映画出身のミシェル・ヨーなので、歴代でも最もアクション・シーンが本格的で香港映画風の格闘シーンもほとんどスタントなしで撮っているという。『スカイ・フォール』のイヴのようにボンドと対等に現場で活動ができる女性役のはしり。『私を愛したスパイ』のバーバラ・バックKGBのスパイ役だったのにそれ程アクションがなく後半単なる人質役に甘んじたのとは対照的。対してゲッツ・オットーが演じる悪役の一人は『ロシアより愛をこめて』のロバート・ショウを思わせていて古典的なのが良い感じ。

イギリス海軍の23型フリゲートがたびたび登場。17mの大型模型を作ったとのことだが、その割には小さく見えるし、模型同士がいかにも近すぎるのももうちょっと工夫できないものか、と。敵艦があんなに近づいたら普通見張員が目視でも気付くと思うのだが…。『太平洋奇跡の作戦 キスカ』の軽巡洋艦の表現に比べても今一つで、やはり艦船の模型を使った特撮は難しいと改めて感じさせられるところ。

 

もともとは香港が題材の脚本だったそうで、香港返還の時期だっただけに政治的過ぎるとの判断から改稿となっていて香港が出てこなかったのも『黄金銃を持つ男』などと比較すると不自然で、まあ沖縄周辺の地図がとても不正確なことも含めて、『007は二度死ぬ』程ではないけれどアジア描写がいい加減なのは仕方がないか。

 

『天気の子』(2019年)

『天気の子』2019年

 

 鉄道と東京に興味がある人と、それから刑事ドラマとか推理小説とかも嫌いじゃない人は一度観てみましょう。それ程劇場で観る効果の大きい作品ではないかもしれませんけれど。

 以下はいわゆるネタバレです。

 

 さて御覧になって如何でしたでしょうか。いやあ、あの上野駅の特急「ゆうづる」発車前に主人公たちが受け取った手紙について話している時に、高杉刑事が出くわすあのシーンはなかなかでしたね。

 

 え、今はゆうづるは廃止されていてそんな西村京太郎『終着駅殺人事件』みたいな設定はありえないし、『特捜最前線』で西田敏行が演じていたのと同名の刑事は出ていないって?これが大嘘とお分かりの方は以下お読み下さい。例によって二重に警告しましたので、宜しく。

 

 個人的にはああ何か『特捜最前線』を連想するなあ、ってのは意外に大きな部分を占めているかもしれないのでまずこれを軸に書いてしまってから、東京とか鉄道とかについてつらつらと。

 

 最初意外にストレートに犯罪とかアウトローが描写されているのに驚いたんですが、あこれはむしろ結構昔の作品だったらこういう風だよな、と逆に納得していった感じで。

 主人公男が偶々拳銃を拾って犯罪行為に進んでいく、なんてもろに1970年代・1980年代の『特捜最前線』的な脚本だなあと。そういう作品は『特捜最前線』だと確か数作品在って、この主人公男のような家出ですらなくてホントの「善良な一市民」が雪だるま式にあれよあれよと拳銃強奪立てこもり犯になっていく作品なんかは印象的でした。

 舞台も新宿歌舞伎町で、その後も断続的に酒の世界、性風俗や性搾取の世界、ヤクザ的な世界などアウトローな領域が示されていった辺りもあの年代の刑事ドラマ風というか。例えば主人公女は一度は生活苦から性産業へ勧誘され、あと一歩で足を踏み入れるところまで行っていますし、もし何かあれば性搾取や性暴力の被害を受けていても何ら不思議のない設定なのは、『特捜最前線』でも結構たくさん性暴力や性搾取、そしてそれに無理解な社会・周囲による二重の疎外、といった問題を扱った事件の話が1ジャンルを形成していたのと続いてそうな軸かなと(この辺りが「分岐」や「エロゲー」といった視点でも論じられているのが何となく分かるところ)。

 

 もう1つ、主人公女たちが住んでいる田端のあの雰囲気が、『特捜最前線』が新宿の高層ビル群の一方で対比的に実に泥臭い、都電沿線や京成沿線や常磐線、京浜線などの敢えて言えば下層的な場を描いているのも何か共通性が有るなあと思ったところで。主人公男が住んだビルの地下といい、最後に主人公男が東京農工大に進学し小金井周辺に住むのとは対比的な場所ばかりだなあと。

 

 それから『特捜最前線』では結構街頭ロケのシーンが在って、今見ると通行人たちまで映っていて面白いのですが、もはや実写作品でこれだけの規模の東京でのロケが不可能になっている中で、東京の具体的な描写を入れていわば疑似的ロケをしているのは、アニメ作品ならではかつ昔の実写作品の要素が入っているとも言えそうな。

 

 もう1つは上京した若者、というこれも1ジャンルを為すぐらい『特捜最前線』では色々な話があって、やはり東京で何かと虐げられたり、あるいは上京した若者間で起こる悲劇という前述の『終着駅殺人事件』的な話があるのですが、性とか上京とか1970年代やそれ以前まで遡れそうな意外に古典的な都市社会の問題軸を扱っている点が両作品を連想するところですし、その相違点がまたいわゆるセカイ系論につながっていくのかなあと。

 

 まあ『特捜最前線』に引き寄せ過ぎな書きぶりな訳ではあるのですが。というのも『特捜最前線』的な編集を加えたら、女性陣はまず性暴力か覚醒剤の被害を受けるでしょうし、男性陣は大体死んで、最後は登場人物大方死んでからあの夕陽のエンディングに入っているでしょうから。この作品、ラストではどうも皆刑事処分を終えてからも、進学も企業経営も出来過ぎなぐらい成功しちゃってるようですし。

 

 その点に関連して言うと、犯罪描写やアウトローの描写が在る割には、ある意味極めて健全な、警察の非行防止の広報のような一種の抑制が効いている気はしてしまいます、言う程狂った世界とその被害者を描いてはいないじゃん、と言いますか、家出の原因は敢えて語られていないように、「息苦しさ」の背景は問われませんし、アウトローの社会に近づかなければそれで被害が防止される、というのはアウトローが生じるまさに狂いの原因には視線が及んでいないところはあるのではと。

 

 さてもう1点この後の話に結び付けて書くと、『特捜最前線』的な設定だったら、例えば途中で主人公女が消えた時に主人公男は警察や社会に対してその恨みや理想から復讐しそうなところですし、『特捜最前線』では左翼集団やテロリスト等の社会へのある種の思想や背景をもった、思想と集団が背景になった事件の話がこれも1ジャンルある訳ですが、この作品ではそういった展開にはならないのだなあと。

 

 世代とか集団とか社会とか政治とかが、恐らく相違点の構成要素になるのではと。

 老人や子どもが出てくる一方での親世代の不在というのは今回も特徴的です。それから主人公2人の出会いで見落としがちですが、若者が世代とか集団としては登場しないのも、『言の葉の庭』とか『君の名は。』で同級生たちがまさに集団として描写されていたのとは対照的なような。凪センパイが小学生だけれど同世代との関係が恋人とか元カノとかの、まさに大人同士の疑似関係だったのはその意味ではなかなか面白いところで。学校という社会集団とも無縁で、糸守町のような地域社会の集団も出てこない。夏美も就活め企業め、と思いながらも何だかんだ個人と家族が軸の御方で同世代との横の関係が見えない。

 

 最終的に、天気を巡って暗黙のうちに人柱を欲する集団意志は、個人の次は一気に全世界まで飛んじゃって、階層的な集団構造は恐らく存在しないし、そこには政治もそれと結びついた社会思想も多分ないのかなあと。

 『シン・ゴジラ』とそれが背景とした『帰ってきたウルトラマン』では、怪獣を倒すために東京と都民を犠牲にするか否か、という選択を巡る思想と政治勢力の対立が在った訳ですが、この作品では天気と東京をどうするか、という政治はない。『シン・ゴジラ』の国会前で賛否両論のデモ隊が居た、というような場面は東京が水没してからでも存在しないという。『君の名は。』で宮水父が町長として最終的には三葉に頼った避難指示を出させた、というのは今振り返ると、てっしーが多分に陰謀論的ながら建設業と地域政治の構造を語っていたのと合わせて、なかなかに政治的だった訳だなあと。

 この作品の東京という世界には政治思想も政治集団もない、というのはかつて革新自治体として東京が一国史とは一線を画した政治史を有し、東京をどうするかという構想を巡って地域政治が展開されてきた都市史を振り返る時、東京を扱った作品としてこの映画が結構歴史的な意味を有する点かなあ、などと。

 それから『君の名は。』の隕石に続いて、今回の雲も別に敵集団でも無い、ゴジラのように明らかに人間集団の外側にある存在でもないのもまた社会とか集団とか政治の不在だなあと。

 この作品結構映画版『風の谷のナウシカ』を連想せずにはいられないのですが(服の入れ替わりによる脱出の場面は、作っている側も絶対念頭にあったような気がする)風の谷とトルメキアとペジテといった集団みたいな要素や、人間側と腐海王蟲側との関係みたいな領域がないのがこの作品の特色でしょうか(というよりもセカイ系ってそういうものなのでしょうか)。

 警察が出て来てもパトレイバー的な裏事情とか、暗闇機関的な超法規的存在とかは全然出てきませんし。というか『踊る大捜査線』的に言えば拳銃所持の逃走犯なのに最後まで所轄署の刑事たちに任せているのかね、というやや不自然なぐらい純粋な刑事警察描写ですわな。

 

 以下、細部関連。

 倍賞千恵子が東京という町の歴史を語る老女というのは、東京で都電の運転士の子として生まれ『下町の太陽』や『男はつらいよ』シリーズなどで下町の女性役を演じてきた彼女の経歴と思いの外合っていて、結構納得の起用。そういえば神木隆之介とは『ハウルの動く城』では疑似家族関係役だった訳だけれど、今回は祖母と孫役で再共演な訳か。

 

 鉄道描写については冒頭の電車の走行音から始まって、代々木の分岐点と田端の2か所、そして目白駅南方から新宿駅までの主人公男激走シーンと今回もなかなか。遂に『言の葉の庭』以来の中央総武線各駅停車が主役の座を失い今回は山手線内回りにスポットが当たったのは少々意外だったけれど。

 主人公たち3人の逃避行、池袋の山手線で足止めというのは一体田端からどこへ向かって出発した設定なんだろう。まあ運休続出の日だったので止む無く一旦内回りで池袋まで出たのだろうか。

 中央総武線緩行線といえば、『君の名は。』組が結構出てきたのに(四葉だけ見落としていたけれど)、『言の葉の庭』組が雨がミソの作品なのに再登場しなかったのはちょっと残念。視聴済み層の違いもあるのかもしれないけれど、カメオ出演としてはそれ程不自然でもないので入っていても良かったのでは。

 脚本的に上手かったのは凪関係全般。最後の登場シーンまで意表を突きつつ、結構色んな場面で話を動かしていった役回りだったなあと。派手なところもあるけれどクレバーで、帆高の東京農工大に対し慶應か一橋大辺りに行きそう。

 

そういえば『天空の城ラピュタ』のパズーとシータとの対比とかも思わないでもないですが、もう長すぎるのでこの辺りで。