書房日記別館 従軍慰安婦とアメリカの歴史教科書を巡って

発端はこちら http://b.hatena.ne.jp/entry/www.jiji.com/jc/c?k=2015021000507

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.jiji.com/jc/c?k=2015021000507
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/241376418/comment/shigak19

やりとりについては、3つのブックマークに同時にコメントを付していく形となったので、大変まとめにくいが、とりあえず当方の分についてはこちらなど 

http://b.hatena.ne.jp/shigak19/?url=http%3A%2F%2Fb.hatena.ne.jp%2F

 安倍政権がアメリカのマグロウヒル社出版の歴史教科書について、従軍慰安婦に関する記述に問題があるとして批判を加え撤回を求める行動を起こしている(執筆者のところに日本領事館職員が訪問した話まで報道されていますけれども)ことに対し、アメリカの歴史学者たちが安倍政権を批判する主旨の声明を発した、というのが発端の記事です。

 やりとりの中で感じたことをつらつらと、メモ代わりに記しておきます。

 id:Day-Bee-Toe氏の教科書叙述批判・安倍政権支持という立場は、教科書については徹底的に「史実」に反する記述であると批判する一方で、安倍政権の批判は「史実」からの逸脱を批判しているだけで正当であるという、安倍政権は従軍慰安婦に関して100%「史実」に則った、いわば「正しい歴史認識」を有しているかのような前提の上に成り立っているということに、最後の氏からのコメントで気づき唖然とした次第です。

 私はてっきり、安倍政権の慰安婦に関する認識も相当に「史実」と開きがある、という点は前提として共有されているであろう、と考えていたからこそ安倍政権の「史実」からの逸脱については批判しないのはどういうことか、という問いかけが十分同氏への批判になり得ると思っていたのですが、成程安倍政権の正当性が前提の氏からすればこちらの投げかけの意味が分からなかったのでしょう。


 氏には一度、かつて安倍首相も賛同者として名を連ねた「スターレッジャー」紙意見広告、更に同じ「歴史事実委員会」が作成し稲田朋美議員らが賛同者となった「ワシントン・ポスト」紙意見広告、(ある意味では有名な)通称「The facts」の内容を検討して戴きたいものです。保守を通り越した「極右」「歴史修正主義」と呼ばれるにふさわしいだけの、「史実」からの逸脱が見られると当方では考えておりますけれども。

 やりとりの途中で気づいた点として、氏は当初吉見義明の学説は否定しない、むしろ吉見説からすら逸脱している教科書を批判しているのだという風に主張されていたのですが、これが何とも奇妙なのは、吉見説は安倍首相や「スターレッジャー」紙意見広告と全く相容れない「史実」への認識を示しているからです。何しろ、吉見義明の記した従軍慰安婦慰安婦問題に関する著作の1つは、「ワシントン・ポスト」紙意見広告を題材に、「歴史事実委員会」の歴史認識と「史実」への誤解を批判するという観点から書かれている程だからです*1

 同様に奇妙な点として挙げたいのは、氏の「強制連行」を巡る議論です。氏は当初は教科書の記述を「強制連行」「狭義の強制性」として書かれていると批判していたようですが、やがてそう「誤解」されるような記述であるという主張にトーンダウンされたように思われます。更に驚いたのは、「強制性」については「本質」ではない、と議論自体を取り下げられたことです。「史実」の吟味という点では、「強制性」に広義も狭義もないとして慰安婦への人権侵害を認定する立場と、「強制連行」や「狭義の強制性」のみを問題視して「広義の強制性」を否認する立場とでは、大きな開きがあり、この点を脇に置いて教科書記述を批判するというのは、「史実」よりも政治的な動きの方に関心があるとしか思えなかった次第です。

 もう1つ奇妙な点は、氏の教科書記述批判が、意外に教科書の記述自体に基づいて展開されているという訳ではない、という点です。
 (似非)右派の代表的な人物、藤岡信勝フェイスブックで挙げられたソースでさえ、氏の主張されるほど単純な記述ではない、という風に当方には読めましたので、具体的な文章や表現を挙げて氏に御教示をお願いしたのですが、慰安婦の大部分が「虐殺」されたと記述されている、という氏の主張は記述自体から立論されているとは言い難いのではないか、という考えは変わりませんでした。「虐殺」という表現自体、あるいは多くの慰安婦が「虐殺」されたという記述自体を疑問視するのならばともかく、戦闘に巻き込まれて犠牲になった慰安婦、逃亡を試みて殺害された慰安婦といった文章も含まれている記述を、なぜ「大部分」が「虐殺」されたという記述として批判しようと試みているのか、違和感は深まるばかりです。

 結局当方の現時点での印象としては、氏のように慰安婦「虐殺」を「史実」に反するとして徹底的に批判する以上は、慰安婦制度に起因する人権侵害の全体を認めるような認識が当然求められるでしょうし、例えば敗戦前後の日本軍の「遺棄」によって戦場に残された慰安婦達の犠牲についても認めるような姿勢が必要となるでしょう。その点を欠いて教科書の記述を批判し、安倍政権の教科書批判を支持することは、結果として一部の右派の主張を補強し、従軍慰安婦に関する日本という国家にとってマイナスの部分を、無理やりプラスに見せるような行為につながりはしないだろうか、と感じております。

 なお、マグロウヒル社の教科書について、完全無欠とは当方も考えておりませんけれども、こちらが訂正を重ねていくことでより「史実」に寄り添っていく余地がまだ可能と思われるレベルであることに対し、「The facts」の方はどうにもならんレベルと感じざるを得ない、という点は記しておきたいと思います。「虐殺」の部分を書き換えて、「遺棄」による「犠牲」としても、「20万人」を「2万人よりもずっと多く」としても、教科書叙述の根幹は恐らく揺らがないのではないでしょうか。

 もう1点付記しておくと、「日本人慰安婦」の記述がない、という批判が一部右派等からもしばしば出ることが、私には不思議に思えます。仮にも天皇大元帥とする大日本帝国陸海軍の軍人たちが戦場で自国民を性欲の捌け口としていたという主張が、どう「日本の名誉」につながるのか理解できないという側面もありますが、全体として慰安婦に植民地朝鮮及び中国大陸出身者が多かったということ、本土以外からの移送が政策的になされていたこと等をふまえれば、まずは朝鮮半島出身者等を重点的に記述するという選択は、叙述の書き手の判断としては1つの方法だろうと思われるからです。更に言えば、「日本人慰安婦」への人権侵害を重視する者は、当然朝鮮半島出身あるいは日本本土以外の地域からの出身である女性たちの人権侵害についても向き合わなければならないでしょうし、その点を認識しないで仮に「韓国への反論」としてのみ「日本人慰安婦」に言及しているとすれば、大いに問題のある観点ではないかと思います。

*1:吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波ブックレット、2010年