書房日記別館 続 従軍慰安婦とアメリカの歴史教科書を巡って

この記事はこちらの続き・応答です http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150311/1426000131

何というか、こちらの「先入観」を批判されるにしては、随分とそちらで「先入観」「誤解」を抱かせるに足るだけの不用意あるいは後で意図的に立場を変えるかのような御発言をされているなあ、というのが id:Day-Bee-Toe氏のコメントを読んだ時の第一感でした。ヘンにこの間と全然違うことを書かれて、自分の主張と部分的には同じであるとアピールされるよりも、明快にあなたとは違うんですと言われた方が、まだすっきりするし議論のし甲斐もあると言いますか。

1. 私は安倍政権を特に支持しているわけではありません。特に歴史認識関係と教育政策については明確に不支持です。そして『安倍政権は従軍慰安婦に関して100%「史実」に則った』云々というのはなぜそう判断されたのかわけがわかりません。私は確かに『今回の抗議に関しては政府の抗議は「教科書の記述を史実から逸脱させるな」という趣旨であり妥当と考えます』と書きましたが、"100%" と思っているなら「今回の抗議に関しては」などと限定を付すわけがないでしょう。また、これはわからなくても仕方がありませんが、「政府」と書いたのは「外務官僚」という含意があります。外務官僚が抗議の範囲を巧妙に調整して穏当な範囲に落とし込んでいるということです。実際、今回の抗議の内容は "The facts" に書かれた荒唐無稽な内容に比べれば随分控えめです。

いやー私は発端となったブックマークでの氏のコメント以来、氏が安倍政権の歴史認識に批判的な歴史認識を有していると示すようなブックマークを拝見した試しがなかったですし、これから述べるように安倍政権の歴史認識に批判的な立場の人間が今回の措置だけは限定的に支持するという判断も成立するとは考えにくいので、てっきり氏は安倍政権と同じ歴史認識の立場にあるのかと考えていましたが、少なくとも現時点ではそうではないと明言されている以上、そうであることは認識しました。

私が疑問だったのは、
歴史認識がかなり間違っている政権が仮に部分的には正しい歴史認識に基づいて批判を行ったとして、その批判を歴史学者たちが再批判するのはなぜ許されないのか」
という点です。

氏はhttp://b.hatena.ne.jp/entry/japanese.joins.com/article/378/196378.htmlでも、コメントの時点でも4で、米歴史学者の安倍政権への批判にかなり立腹されて、歴史学者たちの批判を許さないとしておられます。

で私は氏は、
「安倍政権の歴史認識は100%正しい歴史認識を有しているから、その安倍政権を批判する歴史学者は完全に誤っている」という前提に立つのだろうかと思っていたのです。

で今回の回答を受けるならば、
氏のお考えは
「かなりの部分間違っている安倍政権でも、米の歴史教科書の完全に誤った部分に関しても批判することができる。しかし米の歴史学者はそのような安倍政権の今回の抗議に関して、一切批判をすることは許されない」
ということになるでしょうか。

かなり奇妙なお考えだと私は思います。そもそもの前提として、歴史認識に関しては、政権よりも学者の方が優越するのが当然で、それは氏の散々持ち出される「史実からの逸脱」を最も的確に批判できるのは、歴史研究を専門とする歴史学者であるはずだからです。ところがその歴史学者には教科書に関する政権への批判を一切許さないで、政権側のみに批判の自由を与えるというのは、かなり限定された条件でのみしか認められないのではないでしょうか。

私がこのような氏の解釈で納得出来る事例は、「歴史認識についてかなりの部分誤った政権が、100%完全に正当な批判を加えたことに、歴史学者が再批判することはおかしい」という場合のみで、結論的には

歴史認識がかなりの部分誤った政権が、正当な部分と不当な部分とが混在した批判を教科書に加えた場合、歴史学者が政権の批判を再批判することは許される」

と、私は考えます。なぜならば政権側の批判にも不当な部分が混入すると判断した以上、その部分を見逃して沈黙することは「史実からの逸脱」につながりかねないからです。


そうすると論点は、安倍政権による教科書批判は氏のいうように完全に正当であるか、それとも私の考えるように不当な部分を混在しているか、普段の安倍政権の歴史認識関係の政策は全く支持できない立場からしても、今回マグロウヒル社へ政権が行った批判行動を限定的に支持できるような条件があるか否か、氏の主張されるような「外務官僚」による「穏当」な落とし込みが認められるか、ということになります。

結論だけ言えば、1)「外務官僚」の行動の前には産経新聞による報道が存在しており、私は外務省が産経という「民間右翼」の焚き付けに受動的に動いたものであって、更に同氏も「荒唐無稽」とお認めになったThe Factsに賛同していた稲田朋美自民党政調会長が国会質疑で安倍首相への質問の形で問題を蒸し返すという、実に「歴史修正主義」的な政治過程が現れているようにしか観察出来ませんが。

発端はhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/world/news/141103/wor1411030002-n1.htmlの、2014年11月3日の産経新聞の記事です。で外務省の動きが報じられたのは、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/politics/news/141118/plt1411180004-n1.html

これ、「産経新聞が11月3日付で報じたことを受けて外務省は同日、在米の大使館、全総領事館を通じて米国の公立高での同教科書の使用実態について調査に入った。」と書かれちゃってるんですねえ。The Factsは「滑稽無稽」とおっしゃる同氏はさすがに産経新聞には批判的であろうかと思います、その産経に感化されるほど外務官僚はバカではないと思いたいもので、そうすると自民党の誰かが「ご注進」に及んだのか、ともかく自民党The Facts面子辺りから圧力でも掛かったのか、外務官僚も彼ら並には右派なのかは、ちょっとこれは推測するしかないというところですね。


2)実は、外務省は具体的な抗議内容について、ロクに開示していないというのが、現実であろうかと思います。そもそも公開されたソースでは、「穏当」かどうか、氏が散々主張されていた慰安婦の「虐殺」についてのみ抗議したのかは、全く分からないというのが実情かと思います。私はそのように理解しておりますが、私が当たったよりも詳しい情報源があるのならば、同氏の方に説明する義務があるかと思います。

3)で、推測される抗議内容ですが、これはかなり不当なモノと判断せざるを得ないです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/politics/news/150112/plt1501120014-n1.html

こちらから産経の1月12日の記事が見れますが、何と「慰安婦日本海呼称問題で重大な事実誤認や日本政府の立場と相いれない記述がある」と外務省の当局者が語った、と報じられております。「事実」と「日本政府の立場」が並列されてしまっていて、同氏の「史実」のみを重視する姿勢とはこの時点で外務省・日本政府との間に乖離が生じてしまっているとしか読めないのですが。
でこの記事自体がそもそも『「強制連行」したとする史実と異なる記述がされている問題で』で、こうなると外務省も「虐殺」に限定せず「強制的な徴集」全般で訂正要求を行ったとしか読めないのですが、いや外務省は強制性の方は抗議していない慰安婦の「虐殺」だけに限定したから正当だ、と主張されるんでしたら根拠をどうぞ。
 そもそも1月29日の国会質疑で、稲田政調会長も安倍首相も「虐殺」に限定せずに慰安婦の「強制連行」自体を問題視して話を進めていた訳ですが、でどうして日本政府の今回の抗議のみはその辺りの、歴史学者から批判が飛んできそうな「強制連行」の問題を省いて抗議した正当なものだと言い切れるのか、私は疑問とするところです。


2. あなたがどうして殊更に吉見義明氏の名前を引き合いに出すのか困惑します。そもそも最初に吉見氏の名前をあなたであって私ではありません(勿論私のような素人が吉見氏の学説に反駁する気もありません)。いずれにせよ私が言いたいのは「史実だという証拠のないことを書くな」この一点に尽きます。別に私は「強制性」の「狭義」「広義」という枠組みにこだわっているのではなく、占領地で行われた言い訳のしようのない蛮行と、内地や植民地でのそれよりは幾分マシな状態には明らかな差があるのに、両者を混同するような記述は現状の政治的文脈を鑑みると誤解を不作為に放置するような悪意を感じざるを得ないということです。現在は旧占領地とは曲がりなりにも和解・補償ができている一方で旧植民地とのみ未解決の紛争がある状態なのですから、事情を知らない第三者が見れば現在係争中のものが一番酷かったに違いない、従ってここに書かれていることは旧植民地に関する事実だ、と、当然読みます。そしてそう読解する限り史実とは乖離するのだから訂正を求めるのは決して不当なことではないのではありませんか?私が言いたかったのはそういうことなのですが、あなたはどうしても「強制性」の「狭義」「広義」という既存の枠組みでしか読解して頂けないようだから、面倒になって取り下げたというだけの話です。

えーと米歴史学者たちが何を根拠として安倍政権を批判したか、お忘れですか。吉見義明の学説なんですよ。
そうすると吉見説をどうとらえるのか、というのは今回の論争に当たって必須で、米歴史学者たちを「史実」に則っていないと批判する以上、吉見説の評価というのは避けられないところです。吉見説を不当なものと解釈して、だから吉見説に拠る米歴史学者たちの主張はダメだと批判するのも、論としては成り立ちますが、彼らを批判したいけれど吉見説には関心がない、反駁しないというのはいささか不徹底ではないでしょうか。
私は吉見説に準拠している、厳しく評価しても準拠しようとはしているからこそ米歴史教科書の記述も、米歴史学者の安倍政権批判声明も、総体としては妥当なところだろうと考えているのですし、今のところ「史実だという証拠」に一番詳しい人を一人挙げろと言われたら私は吉見義明を挙げます。では「史実だという証拠」に関して、米歴史学者たちを疑問視されるあなたは、一体何に準拠されているのでしょうか。

ところで、その後出たid:Apeman氏の記事を紹介しておきましょう。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20150323/p1

そうですね、吉見義明からマグロウヒルの教科書について訂正と改善を申し入れて貰う、というのならば秦郁彦大沼保昭よりも信頼性は高そうですね。同氏吉見ならば「虐殺」の部分は取り下げて戦後の話を入れるかもしれないし、「天皇の贈り物」も慎重に取り下げて、その上で何か大元帥としての天皇天皇制との関係も何か取り上げるかもしれないですしね。

さて、あなたが「面倒になって取り下げた」程度の、「強制連行」と強制性を巡る問題にこだわっている方は、自民党にも外務省にも大勢おられるようですね。そしてそんな人々に批判的な人間も少なくないのですよ。

あなたの御意見を読むと、第三国への体面の方が大事なのか、「史実」に照らして正しいことの方が大事なのか、少し分からなくなります。
「占領地で行われた言い訳のしようのない蛮行と、内地や植民地でのそれよりは幾分マシな状態には明らかな差がある」ここがよくわかりませんでした。「植民地」「占領地」という区別がなぜ意味を持ち、それが教科書記述批判にどういう意味を持つのか、私には読み取れませんね。「旧植民地」つまり韓国のことを、外交関係の面から過度に重視されているようにしか読めなかったというのが正直なところです。

3. 「虐殺」についてのあなたの読解は私には正直理解に苦しむものです。「逃亡を試みて殺害された」というのが「虐殺」以外のなんだというのでしょう。そして、終戦間際まで生存した慰安婦は組織的に殺害されたとまで書かれているのですから、これが万単位の「大虐殺」でなければ一体なんでしょう。少なくとも「カティンの森の虐殺」よりは酷い話だし「南京大虐殺」にも匹敵する(そして情状については更に悪いとも言える)話ではありませんか?そんな話は私は寡聞にして聞いたことがありませんが、そんなことが現在の歴史学上の定説だとでもいうのでしょうか?もしそれがその通りだというのなら、そこは私の不勉強であったと認め、この点に関する主張は取り下げましょう。


え、逃亡を試みて殺されたのも「虐殺」とお考えなら、逃亡を試みて殺された事例が1例でも挙がれば、教科書に「虐殺」と書かれても「史実」ということで妥当になってしまうんですが…あなたの立場からすると有り得ない御主張ですが、あなたがそうお考えなら、分かりました私は1例でもそういう事例がなかったかの証拠を調べて、あなたに御報告すれば「虐殺」という記述でもお認めになるんですね。

前回とほぼ同趣旨のことしか書けない気もしますが、私は敗戦前後の「虐殺」は遺棄と書き換えた方が良い、という点ではなるほど敗戦前後の虐殺否定という1点だけではあなたと同じ立場なのですが、あなたが教科書の原文読解を無視して徒に「大部分が虐殺されたと教科書には書かれている」と主張されるから、そこで訳が分からなくなるんですよ。ましてや、発端のブックマークでは「20万人が」更には「20万人近くが」とおっしゃられるし。

そもそも吉見説にせよ、秦郁彦説にせよ、多少従軍慰安婦について知っている人間ならば、彼らが慰安婦数の集計の時に「交代率」を巡っても論争があったことを知っているので、20万人が同時に慰安婦であったなどとは考えないと思うのですよ。その時点で、隠し球のように塁を出た時点でアウトになってはいないかと思ってしまいますが。

4. 何を誤解されているのかわかりませんが、私自身マグロウヒル社の教科書については『完全無欠とは当方も考えておりませんけれども、こちらが訂正を重ねていくことでより「史実」に寄り添っていく余地がまだ可能と思われるレベル』だと考えています。私が問題視しているのは、あなたも(暗黙に)認められるように件の教科書には史実との乖離が見られる(それが重大と思うか否かの点に私とあなたでは不一致があるにしても)ことに対して、その乖離を指摘した日本政府を、よりにもよって史実をこそ最大限に追究すべき立場である歴史学者が批判したということです。私は別に「教科書叙述の根幹」を否定したいわけではなく、一番大事なのは史実だという姿勢を枉げることは許されないといっているだけです。

えーと私があなたと論争するきっかけとなった、2月10日のあなたの御発言をおぼえていらっしゃいますでしょうか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/www.jiji.com/jc/c?k=2015021000507

「で、まあ例によってはてな民は件の教科書が本当にひどいものであることも調べずに欧米様の鰯の頭を拝んでいるわけで。」

この記述から、The Factsや安倍首相の歴史認識よりは、マグロウヒルの教科書の方を評価していることを読み取れと主張されるのでしょうか。でその上で「誤解」だの「先入観」だのと、当方に対しては有難いお言葉の数々を投げかけられると。私に足りないのは読解力ではなく想像力のようですね。

1.への回答で既に述べていますが、このケースで米歴史学者のみを「史実」の観点から批判するのは無理筋でしょうし、2.で述べたように、「史実」を徹底的に考えるのならば歴史学研究、例えば吉見義明の学説等を再検討しようと試みるのが、むしろ妥当かと思います。

5. 私は別に「右派」ではないので「日本の名誉」に特段の興味があるわけではありません(勿論「日本の名誉」が傷つけられることにより「私」が何らかの不利益を被ることには重大な関心がありますが)。そもそも旧軍は屑だと思っていますしその負の遺産現代日本社会に及ぼしている悪影響は未だ大きいと思っています(ただし、旧軍の負の遺産を引きずっているのは「右派」だけではなく「左派」もそうだと思っています)。そうではなく、日本人慰安婦慰安婦の中で無視できない比率を占めていた(秦氏のいうように最大勢力であったかは疑問があるにしても)のは確かであるのに対し、これを殊更に無視することは史実の隠蔽であり歪曲であるというだけです。人権侵害という問題意識も勿論大切ですが、その前提となるのはまずは史実の正確な認識です。歪められた像を元に史実を捉えていては問題の解決には繋がりません。

私は日本人慰安婦に関して書かれていないことよりも、慰安婦が強制的に徴集されたという部分をも含めて批判しようとした日本政府の方が、「史実の正確な認識」に基づかない「歪められた像を元に史実を捉えていては問題の解決には繋が」らない抗議行動をしているとしか考えられなかったので、こうして書いてきた訳ですが。そもそも安倍首相や外務省の究極の目的は「日本の名誉」であって「史実」ではないのに、こうして今回の抗議行動を限定的とは言え「史実」という点から擁護しようという同氏の意図は、実に分かりにくいです。

「人権侵害という問題意識も勿論大切ですが、その前提となるのはまずは史実の正確な認識です。」

 史実の正確な認識に人権侵害という問題意識が反映されていないなどということがあるのだろうか、人権侵害への問題意識を欠いた「史実の正確な認識」にはたしてどれ程の意味があるだろうか、とは感じるところです。

ちょっと予定よりも端折ってしまいましたけれども、取り急ぎ御所望の応答です。ところどころ「あなた」と「同氏」が混在してしまっているように思い申し訳ないですが、こんなところで。