稲田義智『絶対に解けない受験世界史:悪問・難問・奇問・出題ミス集』を巡るメモ(二)

稲田義智『大学入試問題問題シリーズ1 絶対に解けない受験世界史:悪問・難問・奇問・出題ミス集』社会評論社、2014年

3.長大な問題集

ようやく今回からが本書を読んでみての、中身に関するメモということになるけれども、まず前提として、今回メモの対象とするのは2015年2月に出た第2刷であるということ。これは繰り返しになるけれども当方の怠惰で申し訳なく思うと同時に、敢えて言えば第2刷に関する報告として少しは役に立つところもあるのではないか、とも思っている。

さて、前回表紙については批判的に言及したけれども、この本を手に取ると実に潔く教学社の「赤本」のパロディとなっていて、その予想以上の出来栄えに笑いたくなってしまった。紙の白っぽいところや、余白の取り方等は実に良い。問題と解答解説とが同じページにあることがしっくりこなかったぐらい、赤本そのままと言って良い。

赤本で英語や国語や数学を解いていると、余りの不出来に途中から嫌になって、つい地理歴史だけ過年度分も解いてしまっていた当方にとっては、世界史の問題だけで丸ごと1冊というのは、眺めているだけでも素直に嬉しかった。

それだけに何とも長大であり、それも大半が悪しき実例の数々ということで、大学側の姿勢に最後の方はいい加減にうんざりしつつも、まずは飛び飛びに8割がたの問題を読み終えた。その段階で、本書には索引や内容順の目次が無いので、これでは後で個別の内容を調べにくいということに気づき、この週末はPCのメモ帳を開きながら改めてp.1から読み直し、ようやく昨晩読み終えることが出来た。

ブログ記事を丹念に読まれた方程、敢えて単行本を手に取ることの意味を考えてしまうかもしれないけれども、ブログ掲載版とほぼ同内容という場合も少なくはないとは思われる一方、コラム等は今回初出であるし、これだけまとめて読めるとまた別の面白さがある。

例えば、私がブログ版を本格的に読むきっかけとなった、一橋大の良知力を引用した超難問(p.59)についても、単独の記事としてではなく、他の大学の悪問・出題ミスと並べられて読むと、また違った印象深さが在るように思う。

4、「ふざけている」ようで重厚

p.83のコラムでの「ハン国」と「ウルス」、p.136-142の、一橋大の難問に真正面から取り組んだ絶対王政フランス革命の話など、かなり骨のある歴史学の主題についても取り上げている辺りが、一見「ふざけて」いるようで本書の重厚なところだと思う。

例えば後者は、一橋大の重厚な問いに、極めて本質的な解説を展開しており、本書のハイライトの1つではないかと思う。個人的には、当方も一度は二宮宏之「フランス絶対王政期の統治構造」や遅塚忠躬『フランス革命』岩波ジュニア新書、1997年を読んだはずなのだけれども、それらが全く血肉となっていないのだなあと反省することしきりではあったりする…。

それだけに、出題者の側が史実や歴史学の議論の本質を軽視している場合への批判に、説得力がある。例えばp.257では、出題者自身がアメリカの「建国神話」に引きずられているのではないかという批判が展開されているし(それにしても、後述するがアメリカ史関係にやたら悪問や出題ミスが多かった気がするのは、当方のバイアスだろうか)、p.269での用語集を引用しておきながら史実との照合を放棄している出題者への嘆きにも説得力がある。

それにしても、p.247で言及されたような、叙任権闘争全体への評価を前提としないと本来は解答不能の問題まであるとは、細部のチェックミスという次元では済まない出題側の問題の根深さが見受けられる。

5.一方での、寛容さ

他方で本書がバランスが取れているように感じるのは、出題者への寛容さが示されている点で、p.255のグラッドストンに関する問題での出題ミスについては、首相と自由党党首との取り違えに対して、かなり寛容な姿勢が示されている。またp.279、選択肢に「司馬遼太郎」が入っていることについても、別に目くじら立てて批判を加えず、むしろ好意的な反応を示している。悪問の場合にも少し修正すれば良問になるのに、といった公平な評価も、何度か示されている。

また受験生に対する寛容さが伺えて良かったのは、教科書を超えて学習している受験生ほど不利になるような出題に対する批判が見られたことである。p.129-130の、『詳説世界史研究』の記述と照合しての批判がそれであるが、p.97やp.334のように、なまじ訒小平やブレジネフだけでなく華国鋒やコスイギンも知っていると複数正解になってしまう事例も、そういった文脈の中にあると言えるのでは。

それだけにというべきか、著者の比較的寛容な態度を以てしても看過しえない事例がどれだけあるのかという話ではあるのだけれども…繰り返すが、問題の根は深いのである。

さて、そんな著者は誤植等について読者への協力を呼び掛けておられるので、ここで言及しておきたい。当方が気付いた範囲では、残念ながら1か所だけ、第2刷でもp.217の「解答解説」14行目に、「がたかが大学入試にそんな必要はないとお考えのことだろう」とあるのは、「たかだか」の誤植ではないかと思われる。御無礼とは思いながらも、敢えて記す次第である。

6.メタな検証

問題本文と教科書本文だけの検証ではこうはいかなかっただろうな、という著者ならではの鋭いメタな検証は、実に痛快と言える。教科書を超えて、研究書や更には美術品の所蔵先の学芸員に対してまで取材を行うという、史実への接近は勿論だけれども、用語集や各予備校の解答速報、それに『赤本』等の問題集の記載内容まで検証に検証を重ねているのは、凄まじい労力の上に成り立っていると推察される。これだけの労力を経ているだけに、入試問題自体の次元、それを評価する予備校の次元を超えた、いわばメタな次元からの批判が成立している。

p.102等では、『赤本』や『入試問題正解』の内容についても、批判や検証が加えられている。確かに、大学側の不適切な出題を無検証のままに掲載しているのは、悪質な事例の拡張に手を貸しているということになってしまうので、鋭い批判と言える。

無残なのは、用語集の内容をそのまま流用しておいて、不適切な出題を行っている悪質な事例があることを暴露されている出題者の場合であり、p.250や前述のp.269で、用語集の流用をしているにもかかわらず、学習内容の範囲外からの出題や史実との精査を怠った事例が実に見事に立証されてしまっているのだ。

とりわけ余りにも度し難い事例と思われるので、ここでも言及して批判を加えておきたいのは、p.335-336で言及されている早稲田大学商学部(2011年度)の事例で、教科書や用語集からの文章丸ごと流用であることが著者によって批判されている。著者の批判に更に付け加えるならば、問題文穴埋め問題で一般名詞を出題するのはやはり許されざる行為であって、それをしたいのならば一問一答形式を放棄して論述にしろと言いたくなるような、全く酷い事例であったと思う。


結局これでもまだ、個別具体的な話には入れていないような気もするが、またまたこの辺りで…。一応次回予告をしておくと、美術史と著者の趣味の側面に言及して、ようやく個別的な記述に対するメモなり、個別的な論点なりを紹介する予定ではある。今週末のうちに書き終えるはずだったのだけれども、果たして今日中に終わるのだろうか…。