清水知久『ベトナム戦争の時代』有斐閣新書

読了後に記事を書いていない本が、何時の間にか溜まってしまっている。そして記事を書かない時期というのは、大抵は読む方も停滞している時期と言える。左足を踏み出して、右足も動かそうという訳である。

少し古いが、ベトナム戦争の概説書の1冊と言える。ベトナム戦争について新書版で読むというのは、私見では実は意外に難しい。まずはその辺りを、新書マップの「ベトナム戦争」のページを参照しつつ、少し記しておこう(http://shinshomap.info/theme/vietnam_war.html 2015年9月5日閲覧)。

本来こういう主題に強そうな岩波新書が、同時代に亀山旭『ベトナム戦争岩波新書青版、1972年(当方積読)を出してから、石川文洋『カラー版 ベトナム 戦争と平和岩波新書赤版、2005年(これも当方積読)という当時ベトナム戦争を取材した写真家の著作を出しているのは良いとして、意外なことに決定版の通史は未だ出せていない、と言えるのではないだろうか。


そういえば今度「シリーズ日本中世史」が出てようやく日本古代史から日本近現代史までの新書版日本史通史は出揃うようなので、次は是非「シリーズ東南アジア近現代史」でも企画して欲しいところだ。かつての講談社現代新書でも「新書東洋史」にインド史や東南アジア史・朝鮮史を含めて構成し、単独の企画としては「新書アメリカ史」「新書イスラームの歴史」までしかカバーできなかった訳で、東南アジア近現代史だけで5冊程度の企画が出ればなかなか画期的だろうと思うのだけれど。まさか「日本史」と「中国史」だけ出して終わりということはないだろう、と記しておく。


また岩波新書ベトナム戦争関連でとても面白い1冊として、岡村昭彦『南ヴェトナム戦争従軍記』岩波新書青版、1965年(その後、正・続合わせてちくま文庫から出た)も挙げておきたい。1969年の続編は未読なのだけれども、アメリカの本格介入前の「南ベトナム」の状況を知る上で良い同時代の記録だと思う。個人的な一押しは著者がラオスに元日本兵を訪ねる「日本人・サワット中佐」の章。十五年戦争から20年近く経った1960年代に、ベトナム戦争と並行する形で東南アジアでの戦争の経験が日本においても共有され始めるという点が現れている章であるし、率直に言って感動的な部分だった。


さて新書マップ上で唯一通史・概説と言えそうなのは松岡完『ベトナム戦争中公新書、2001年(これも当方未読)なのだけれども、新書マップに載っていない概説書が本書ということになる。

有斐閣自体が法学・法律系の出版社で、有斐閣新書というと最近はすっかり法学入門書・判例集の印象があるけれども、実は今でも有斐閣アルマで入門的な通史を出しているし、かつては西洋史の通史まで新書で出したことがあるという、存外歴史書の分野でも見逃せない存在だったりする。それはともかくベトナム戦争の通史を大手の新書に先んじて出すとは、これは正直かなり評価して良い企画と言える。ちなみに編集者として名前の挙がっているのは池一。


…とここまで散々「概説」や「通史」という言葉で本書を紹介してきた。ベトナム戦争の全体を扱っており、全時期を知ることが出来るという点はまぎれもなく本書の特色なのだけれども、実は本書は結構意図的に概説書らしくない概説書として、書かれているところも特色となっている。

その点については、著者自身が「あとがき」で構想について書いているので、読み終えてから参照してみると良い。またこの「あとがき」には短いけれども、著者自身のベトナム戦争との関係がはっきりと書かれていて印象深い。

本書を手に取ると、見開きごとにページの左端に、4行ぐらいの引用が続けて載せられているのが目に入る。発言や文書から同時代の「ことば」を集めたものとなっている。
限られた分量のかなりの部分を割いていることに、出来るだけ具体的な、それもどちらかと言えば無名な存在の「声」を含めようという著者の考え方が反映された構成となっている。

印象的なのは、アメリカ軍兵士たちの戦後を扱った逸話やウッドストック音楽祭などの逸脱したアメリカの若者たちに関する記述で、個人の経験を追求する本書ならではの部分と思う。

アメリカと北ベトナムとの、秘密外交交渉についても意外に多くの記述が割かれているけれども、アメリカ史を専門とする著者ながら、アメリカ-ベトナムの二国間関係を超えた、より広い視点を提示している。例えば南米・チリのアジェンダ政権からの北ベトナム支持を切り口に、第三世界同士の連帯を扱ったり、戦車の暴力という点からソ連によるチェコスロヴァキアへの介入を扱ったりしている部分は面白い。

更に著者が強調しているのが、民族の勝利としてベトナム戦争に世界史的な意義を見出すという点であり、これもまた単に国際政治・安全保障の戦略の勝った負けたという視点からでは導きにくいところ。民族について肯定的に評価し過ぎているという読みもあり得るけれども、民族自決の歴史を辿る上でベトナム戦争が無視できない存在であることは伝わってくる記述だろうと思う。

それにしても、本書でも書かれているように、ベトナム戦争については当時の日本政府・自民党政権アメリカを全面的に支持し、べ平連のような反戦市民運動がそういった日本とアメリカの戦争介入を批判するという構図が観られた訳だけれども、当時の日本政府の行動を支持しアメリカと韓国・日本の結びつきを肯定する層が、韓国批判・慰安婦否定の為だけに韓国軍のベトナム民衆に対する性暴力を盛んに批判しているのは、全く以て一貫性のない言動と言わなければならない。べ平連のような、戦争行為とそれによる民衆への加害を批判するという立場に、日本の自称保守派たちは一貫して批判を加えてきたにもかかわらず、である。こういった層は同時に、ベトナム戦争の経験をロクに参照せずに、単に「敵の敵」というだけで対中政策にベトナムを動員しようとしているのであって、そういった今日の国際政治の潮流をやや突き放して眺める上でも、本書は一定の意義を有するように感じざるを得ない。