防衛省日報問題に関して 国会会議録の記録を眺めて

防衛省日報問題に関する今週の報道は、かなり衝撃的で驚くべき内容であったと考えます。

しかしながらウェブ上には何とも、雑といって良いような擁護論が観られましたので、それへの批判を兼ねて少し会議録を辿って分かったことについて記しておきましょう。

国会審議で言えば2月8日に始まり2月下旬までの時期、この段階を第1段階と整理すると、問題になっていたのは1つには情報開示請求後に敢えて日報を破棄し隠蔽していたのではないかという点と、2つには稲田大臣の再調査による結果判明と報告が遅すぎるのではないか、の2点で在ったと言えます。

これについて稲田大臣は、<1>請求時点では既に廃棄されており、文書規則上保管義務は無かった、<2>については今後の改善事項とする、という線で答弁を行っていました。

この段階での攻防の具体例は資料編の(1)-(5)にざっと挙げておきましたので御参照下さい。

ところが3月15日の報道で事態は一変した訳です。陸自が文書データを保管していたことで<1>については再度公開請求に対し意図的に隠ぺいを行ったのではないかという批判が為されましたし、<2>については陸自による保管・公開差し止め・データ消去を見逃した大臣の監督責任が問われました。

これに対し3月16日以降の稲田大臣答弁は、防衛監察本部による特別監察を実施しその結果が判明次第再発防止等の改善措置を取る、というものでした。それに対してはただちに陸上幕僚長以下に事実確認をしないことの是非、即座に責任を取って辞任しないことの是非などが論じられました。具体的には(6)で少しだけ挙げておきましたが、その後3月中に2度3度と同様の答弁は続いています。

さてこのように3月までの動きを振り返ってみると、陸上幕僚長以下による保管の事実確認・公開差し止め・データ消去について稲田大臣が事務次官陸上幕僚長の決定した方針を了承あるいは黙認した、という内容は事実ならば相当に決定的な内容です。報告を受け関与しておきながら、さも自身は不祥事について関与していなかったかのように特別監察を命じた3月の行動は欺瞞ということになります。

そしてもう1つ決定的なのは、陸自から報告を受けたとされるのが2月13日及び2月15日だということです。そう、2月14日、17日、23日などには散々稲田大臣は統幕でのみ文書が見つかり、請求時の対応の不手際で文書の発見が遅れたことだけが問題だとかなりの回数答弁していたのですから、既に陸自でも文書が見つかりそれを秘匿する方針を了承ないし黙認した上での答弁だったら、完全に虚偽答弁ということになります。

ここ数日の、例えば河野太郎議員のブログ記事 http://b.hatena.ne.jp/entry/www.taro.org/2017/07/%E5%8D%97%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%97%A5%E5%A0%B1%E5%95%8F%E9%A1%8C.phpですとか、テレビ番組における元海自の伊藤俊幸氏とかの擁護http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kazue_fgeewara/status/888010680145555456が奇妙なのは、この統幕文書と陸自文書の違いを無視している点でしょう。

仮に2月15日前後に稲田大臣が陸自文書の存在を知っていたとするならば、[1]まず第1段階での、自ら再調査を指示し探索範囲を広げたことで統幕で見つかった、という説明は完全に崩壊しますし、[2]2月15日以降の答弁では[1]に気付きながらそれを秘匿する答弁を行った、[3]更に3月16日の陸自問題発覚以降はそれへの自身の関与を秘匿した、ということになるのは前述の通りです。既に統幕分が公開されていた文書だから陸自分の存在は秘匿しても良い、などとお考えのお二人は一体2月・3月の国会審議特に稲田大臣の答弁について何を聞いてらっしゃったんでしょうか。

繰り返しますが、稲田大臣の第1段階での防衛線は第2段階で一旦崩壊し、今また第2段階の攻防ラインすら報道で揺らいでいる訳でして、もしも今週の報道が事実通りだった場合、このような形で二重三重に公文書管理について大臣としての責任を果たさなかった稲田朋美氏は批判を免れ得ないものと考える次第です。