読んだ本 オマル・ハイヤーム 小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫、1979年改版

もともと新年最初の読了本であったのだけれども、今回記事に書こうと思って再読。そう大部ではないので、頭から読んでもそれ程時間はかからない。

どうしても詩というよりも、断片的な哲学・思想の表現として読んでしまう。

訳者小川亮作による解説というのが、1940年代のものなので、その後のイスラーム史・ペルシア史研究はどんな具合なのかなあとは思ってしまうのだけれども、ペルシアとイスラームの文化史全体を視野に入れたような、その時期らしいスケールの大きさのある一文で結構好きだったりする(ただ音韻の説明だけは、言語学のダメな私にはちょっと馴染難かった)。そこで述べられているように、ハイヤームは数学から天文学から哲学まで、万学に通じた大知識人だったそうなので、まあそこまで間違った読みでもないのだろうけれど、普段余りにも詩を読んでいないのだなあと改めて寂しく思ったりもした。

東洋思想…と書くといかにもオリエンタリズムなのだけれども、取りあえず西洋思想以外でという程度の意味として…の中で、個人的に好きで一時結構のめり込んだのは荘子で、100年単位の編集を経てしか原典が残されておらず原文自体が分からない辺りや、本人の伝記も良く分からないという辺りも似ているし、教訓的というよりは気ままであるところも共通しているのかなあと思う。

ただ、『ルバイヤート』は人生を「旅路」という表現のように、生まれて死んでいく、一方通行の旅にたとえ、宗教の説く「死後の世界」ではなく今の生の大切さこそを説いている辺りは、より大きな「万物」の流転の中に人生を置く荘子とはまた違っているのかもしれない。

もともと「積読」にしていたところ、昨年の本棚企画でid:Mukkeさんが座右の銘とされているということを伺うと共に、「未読なのは勿体ない」とコメントを頂いたことを記し感謝したい。

ルバイヤート』で大きな位置を占める要素に、酒を挙げることが出来る。しかし度々言及された「酒姫」が女性ではなく少年というのも、注釈で知ってちょっと驚いた。比喩としての面もあるのだろうけれど、愛読するMukkeさんは、論文執筆で行き詰まった時、さすがに美少年は側にいないだろうけれど、恐らくお酒を手に取られるのだろうなあ、とそんなことを思ったりもしたのだった。

酒好きの研究者向けの1冊、とも言えるのかもしれない。