貧困報道への言論に関する論点について はてなブックマーク別館

はてなブックマーク別館 自称愛国似非保守の言論における誤認と無責任さについて - 書房日記の続き。

その後の情勢としては、ネット上での言論に大きな変化はない。

というよりも、NHK報道・女子高生批判派特に似非保守系言論には、主張に何らの変化が無い、という他ない。女子高生は本人とされるツイッターによるように「浪費」をしており、NHKの報道は「捏造」「演出」「偏向」である、という主張はなお不変であると言える。

一方政治問題としては、はてなブックマーク - 片山さつきさんのツイート: "本日NHKから、18日7時のニュース子どもの貧困関連報道について説明をお聞きしました。NHKの公表ご了解の点は「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなくにおいて、片山さつき参議院議員NHKからの説明を8月22日に受けたことを議員本人が報告した。これ以降、片山議員は本件については支持者へのリプライの形で自らを批判する論者に対し給付型奨学金問題での協力を求めるツイートをしたのを最後に、ツイッター上では何らの発信もなされていない(はてなブックマーク - 片山さつきさんのツイート: "ご理解ありがとうございます。守谷さんも渡辺さんも宜しかったら給付型奨学金を国民各層に広範なご理解を得られるような良い形で実現する為の我々の取り組)。

ジャーナリズムに期待したいのは、まずは片山議員の見解について問うことだろう。この問題について、ここ1週間何も発信しておられないが、どういう活動をされていて現時点でどういう見方をしているのか。

その上で詳しく質問して欲しい点として、22日のNHKからの「説明」について、片山議員が納得したのかNHKは「捏造」を行ったと更に主張を繰り返す立場を堅持しているのか、そしていずれの立場にせよその主張の根拠は何か、ということを挙げておきたい。

そしてそれと関連して、片山議員が「捏造」を既に定まった事実扱いした小坪慎也行橋市議の言動をリツイートの形で紹介し、小坪市議やまとめサイト等の匿名情報を「有益な」情報提供とみなしたことについて、議員自身の見解を問うてほしい。

片山議員について、批判以前にその前提となる取材が余り為されていないというのは残念だけれども、この点に限らずジャーナリズムの論調は、毎日新聞の記事のような報道が幾分例外的ではあるけれど(はてなブックマーク - NHK:「貧困女子高生」に批判・中傷 人権侵害の懸念も - 毎日新聞)、
全体として「貧困」を巡る議論の深化に向かい、その点以外の論点への踏み込みが為されていないように感じるので、以下大まかに気になった点を挙げておきたい。

まず、片山議員のNHKへの「説明」要求自体が、民主主義国家において政権与党議員があからさまに公共放送の番組内容に介入した圧力ではないか、政治と報道の関係において問題を有するのではないか、という論点は、余り活発に取り上げられているとは言いかねる。

そして片山議員に限らず、NHKの報道内容を恣意的ないし「捏造」である、と主張する側の根拠が、ネット上の匿名情報、本人とされるツイッターに限られているという、報道内容の検証を要求する側の根拠の次元が明らかに報道内容自体より客観性を欠く、そのような根拠で「事実」扱いする時点で報道批判とか事実検証に値しない、という点はもっと反批判がなされても良い論点だろうと感じる次第で。

本人とされるツイッターの全体像が提示されず、「浪費」関係以外のツイッター全体も含めて検証した上で「浪費」だと推定するならばともかく、現状では一部のツイッターから「浪費」と断じられている可能性も考慮してしかるべきなのでは。

そして一個人の個人情報を無理やり吟味すること自体が、既に赤狩り的ではないかという論点ですね。貧困について何か主張する時にここまで個人情報の領域まで踏み込んでとやかく言われた時点で、「あなたは共産主義者か」という問いに自ら答えないと罰せられた赤狩り時代を思わざるを得ないという。

更に自称愛国似非保守に限って言えば、女子高生に対する同じ「日本国民」ないし「日本人」に対する連帯感の無さ、これも論点だろうと。普段散々日本人・日本国民の一体性を訴えた挙句、自分と差異があると何かしら理由を付けて容赦なく中傷するのは、全然国家主義者でも民族主義者でもない論調ではないか。女子高生も日本人・日本国民なのだから、と一定の連帯感を表明する右派・保守派の論調が余りにも少ない、と感じざるを得ないので。


たとえ報道・貧困批判側の論調に立つとしても気になるのは、女子高生の「浪費」やNHKの貧困報道への批判は、安倍政権とその支持者たちの路線と矛盾してはいないか、というこれももっと論点となってしかるべきではと。

アベノミクス」で、経済成長→再配分の道しかなく、成長否定派の格差解消論は非現実的とまで論じられていたのに、貧困層の消費増は「浪費」として批判の的なのはどうしてなのかとか、「一億総活躍社会」とか「女性の輝く社会」とかの目標は今回の事例の場合にはどこに行ったのかとか、18歳選挙権で若者の政治参加をという話だったのに女子高生が社会問題について語ったらここまで中傷を受けるようでは政治参加どころではないのではとか、政治姿勢の大元と矛盾してはいないのか、という論点は当然あり得るのではないかと。