『君の名は。』(2016年)

 積極的に映画館で観ることを奨める、というよりは「映画館という映画に専念出来る空間で2時間かけて一気に観てしまう方が鑑賞しやすい」という消極的な理由になってしまうけれど、現代日本におけるアニメ作品に一定の関心を有している人ならば、観に行っても良いと思う。黄色信号というところなので、全速で突っ込んで事故になっても知らないし、ここで止まって様子を見ても構わないし、減速しながら進行しても良いと思う。

 という訳で、例によって以下はネタバレを含みながら記しますので悪しからず。


 いやー如何でしたか、まさか東京駅の横須賀線ホームの主人公から中央線ホームにあずさ2号で降り立つもう一人の主人公が偶然見れる時間帯があったという、まさに奇跡でしたね。

 え、今は東京駅の中央線ホームは高架でその上あずさ2号は東京駅に行かないし、横須賀線ホームは地下でそんな松本清張の『点と線』みたいな光景はありえないって?はい、この記述が大嘘だと分かった方はこれ以降をどうぞ。二重に警告致しましたから、以下は宜しく。


 観ている時から素直な感嘆よりもおやおやというツッコミが上回った感じはあり、またところどころ入るコメディタッチなところの方が単純に笑えたという面もあり、と全体としては単純な感動作扱いはいかがなものか、というところはあります。

 まず全体の構成として、男女の主人公同士の入れ替わりという軸と、隕石落下による主人公女の村社会の危機と主人公女が受け継いできた歴史という軸と、この2つの交差がどうも上手く処理できていなかったのではないか、という論点が出せるのではないかと。

 極論を言えば、後者の問題軸は全廃してしまって、前者の問題軸だけで構成した方が作品としてもすっきりしたし、説明不足気味という弱点を抱えることもなかったのではないかと、構成・脚本の問題として感じる訳です。

 本作に似た作品として私個人が思い出すのは、劇場版ドラえもんの2作目『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』1981年でして、あれは異世界との記憶の混交から始まって、両者の間の接触と齟齬を挟みながら、最後は両者の共闘によって異世界の悪が倒れ問題が解決されると共に両者が別れていくという、書くと単純ですが骨太で筋の通った物語だったと今でも思っています。第1作ということで劇場版の代表作として言及されることの多い『ドラえもん のび太の恐竜』よりもSFとしての脚本構成は上じゃないかとも。

 それに比べると本作は結局主人公男と主人公女とが物語中盤で一旦再会したことから始まって、隕石落下前の避難による危機の回避という未来の修正という過程が、村社会の歴史という過去とのつながりでどういう意味を持ち、主人公たちによって何が為されて未来へと変わっていったのかが、全然説明されずに終わったという気がします。

 例えば主人公女の祖母も過去に他人との入れ替わりを経験しているし、主人公女は直観として先祖たちが村を隕石から救うための存在ではないかと悟ってはいますが、その点は余り掘り下げられていない。主人公女の父である町長は、元民俗学者という経歴も設定されていて、彼が母との別離後にあれだけ一族と神社から離れ対立していったこと、そして最後の最後に主人公女の説得を受け入れたことには、相応にこの一族の歴史が関わっていたのではないかと推測はされますが、この点もほとんど謎のままです。

 村を救うための主人公女と同級生たちの行動は、明らかに主人公女の父である大人たちとの世代間対立の様相を呈していますが、その点も危機克服の困難さとしては描写されながら、克服の過程では忘れられていった感があるのではないかと。

 過去の隕石落下の後の小災害で伝承と歴史が断絶し、神事の意味も忘れられたという部分の設定そのものは面白かったのですが、この点を上手く処理できなかったのだと感じています。この点については、上橋菜穂子の『精霊の守り人』が実に巧みに興奮をもって描いていただけに、中盤の再会への伏線で終わってしまったのには、もっと上手く後半で展開する方法もあったのではと思えてしまうのですが。


村社会を一つの風景としては描いていたので、風景の消失という描写としては十分だったのでしょうが、人間集団としてのまた歴史を引き継いだ存在としての村社会を提示しないままその危機だけを取り上げる形になり、それならばいっそ村社会の歴史とその危機というモチーフ全体が無くても良かったのではと感じた、というのは上述の通りです。別に主人公女の事故なり一家の危機なりといった水準の問題であっても良かったはずです。


男女の主人公同士の入れ替わりには、付随した軸として時間軸のずれという点が大きな要素でしたが、これの処理も正直上手くいったとは言い難い感があります。改めて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が構成としては単純でも、時間軸のずれや倒叙を上手く使っていたなと感じたのはさておいて、主人公男が3年の時間のずれを認識出来なかったというのはいささか苦しく、3年前の彗星接近と隕石事故のことを一切忘却していたことを特殊な記憶の忘却で片づけるのはどうかと。

彗星と隕石落下という自然現象という設定により、「敵」がいないのにやたらと記憶と記録の消失が起こるのはどういう要素によるのだろう、という点は説明不足ですし納得できないまま終わった点です。別に韓国ドラマのように記憶喪失を多用しようが、松本清張推理小説みたいにいかにも偶然的な接触があろうが、最後に理由や構成がそれなりに構築されればメロドラマにおける必然として別にそうは気にならなかったのでしょうけれども、主人公男も主人公女も両方忘却してしまっていることで忘却の痛みも描写されないし、でも完全には忘却されずに最後は再会する、という微妙な物語になってしまった感はあります。

ポスター一つとっても何かと対照的な入れ替わりという構図を多用している割に、物語としては主人公女の過去とその願望が入れ替わりにつながっているのに対し、主人公男が入れ替わりに選ばれた理由も説明されないし、主人公男の方にも母親の不在という説明されない過去が想定されているのに掘り起こされないし、と存外に非対称なのも気になった点です。

構成に関連していえば、冒頭部のラストシーンの容姿の2人によるモノローグは倒叙として意味を持ったのかしら、という気がした点も挙げられます。テレビドラマのCM前じゃあるまいし、とは言い過ぎかもしれませんが、ラストシーンにもう一つ入れ込めなかった要因の一つは、あの冒頭部である以上主人公女は確実に高校生以上までは生存しているだろうという刷り込みで、個人的にラストで一番盛り上がったのは主人公女の同級生たちが主人公男の脇に居たシーンでした(あれも地元残留志向の二人が上京しているのはおかしいというツッコミがありましたが、その点はまあ堅いこと言ってもしょうがないのかなと感じるだけの説得力はあったような)。

構成との関連の2点目として、導入部として男女入れ替わりの始まりが提示された次の、男女入れ替わりが日常と化して二人で「ルール」が確立されていく、コメディタッチとしては一番面白そうで、恋愛としては二人の接近過程そのものという重要な過程が、明らかに省略化されていたことはどうにも勿体ない感じがしました。あの部分を拡充して、男女の入れ替わりという軸一本で作品化出来なかったのかなあ、と思わされる訳で。

思春期物としてみると、入れ替わりを設定したので、お互い相手の体については知っていて乳房や股間まで触ったことがある一方で、最後まで手が触れて満員電車で体が接したぐらいという、一方での卑俗なまでのエロとプラトニックな純愛との対比は入れ替わりゆえの描写として面白くはあったのですが、エロティズムもないしそこまでこれも掘り下げられなかったなあと。

また東京の描写として、東京の高校生の或る面に特化した描写なのはまあ分かるとして、新宿・四ツ谷・外苑前辺りの東京でも限定された地域が東京として取り上げられている点はなかなか面白かった点です。総武線各駅停車と山手線の代々木駅南での分岐に馴染のある人はラストでおおっと思ったかもしれません*1。まあ私としては、千駄ヶ谷駅原宿駅から引き返して会うってなかなかの「奇跡」だなあと思ってしまったところもありましたが*2

しかし明らかに原型となったZ会CMの『クロスロード』でも、わざわざ御茶ノ水駅で登場している辺り、監督は総武線各駅停車に相当思い入れがあるのかしらと、鉄道描写ではこの点が一番気になっています。

後は新幹線で三列シートが内陸側で2列シートが太平洋側かと気になったのですが、この点は逆で忠実な再現だったかもしれず、誰か確認してくれるだろうと*3

主人公男の同級生たちも主人公女の同級生たちもそれぞれ好人物なのですが、逆に言えばそれだけ記号的かつ脇役的ということでもあって、奥寺先輩も「イイ女」でしかないと言えばそれまでということでしょうか。変電所爆発シーンのギャグ的大仰さを観たので、いっそこの面子で奥寺先輩が峰不二子的ポジションの荒唐無稽な冒険活劇ものがあったら面白そうだ、と感じたりもしています。

演技としては、主人公男が内面に入った主人公女は様になっても、主人公女が内面に入った主人公男はさすがにいささか滑稽という、監督もその点敢えて神木隆之介を指名したという非対称性はどうしても残ったように感じます。あとは茶風林は一発で分かったのに町長の井上和彦を特定し損ねたのは少々不覚でした。

あとはこれはもう好みですが、映画音楽としては私はやはり管弦楽主体の方が良いと思う性質で、ポップスの連発は余り良い印象では無かったです。

*1:この点は不正確な推測で、http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20161030/1477834692で再見時に確認したところ瀧の最寄り駅は四ツ谷駅と推測することが妥当で、新宿駅から代々木駅方面に二人が向かっていたと推測する際の根拠だった新宿駅の描写はあまり関係がないと思われ、再見すると特定の線と明示する情報も無かったことから、四ツ谷千駄ヶ谷間で並走したシーンと推測するのが妥当であり、この際加筆訂正しておく(10月30日)

*2:前述と同じく、千駄ヶ谷駅新宿駅南口なのは再見時にはっきりと確認することが出来、この部分は不正確であったので加筆訂正したい。ただ、そちらはそちらでより広範囲な「奇跡」ではある

*3:この点はhttp://d.hatena.ne.jp/shigak19/20161030/1477834692で再見時に確認したところ、やはり逆だった。