日本将棋連盟の不正疑惑対応とその不当性について

過去3度の記事でも延々書いてきたことであるが、この事件は動きがあればある程、予想を上回る事態が起こり、全く閉口したくなる憂鬱な気分で記事を書くことになる。

既に3度の記事で提示した視点を再提示するものに過ぎないが、今この時点で改めて書きたいという心情の赴くままに書き連ねることにも多少の意味はあると考えて、以下の文章を記した。正確性を欠く面もあるやもしれないけれど、読者諸賢の御批判をお待ちしたい。


日本将棋連盟の設置した第三者委員会は、三浦弘行九段の不正疑惑について、不正行為に関する証拠が不十分で不正の事実を証明することが出来ないとする旨の調査結果を公表した。

このこと自体は、当方が何度か論じてきたことであるが、筋が通っていて、一連の事態の中では丸山忠久九段の筋の通った意思表示と共に、数少ない真っ当な判断であろう。

しかし第三者委員会は、竜王戦前の不十分な証拠での処分を「妥当」と判断している。これは連盟側から依頼された委員会として連盟寄りの姿勢であるという事情があるにしても、不当な判断と言わねばならない。当方が既に論じているように、不十分な証拠しか揃っていないのならば証拠不十分で不処分にすべきだったし、竜王戦という一タイトル戦の名声・評判のために、不十分な証拠で以て挑戦者を排除することこそが、人間対人間の勝負を保障するという将棋の根本精神を踏みにじる危うい行為だったのであり、緊急性は処分を妥当とする根拠にはなりえないと考えるべきではないか。連盟の理事会・常務会の責任を減免するような、政治的な決定とさえ言えるかもしれない。

さらに今回最も批判すべき点は、谷川浩司会長以下の日本将棋連盟理事会がこの第三者委員会判断に基づいて、三浦九段への謝罪は行ったものの、自らの責任を不問に付し会長ら3名の減俸処分にとどめた上に、朝日新聞の報道によれば何と救済措置として「不利益の救済策の一つとして、連盟は、来期もA級の地位を保証することを決定」したということにある(http://www.asahi.com/articles/ASJDW4TVNJDWUCVL01C.html 村瀬記者の、20時34分付けウェブ版記事)。

ここまでくると、棋士たちを中心に構成されているはずの将棋連盟理事会にとって、順位戦の重みとは、勝負の重みとは、将棋とは何なのか、と問わざるを得ない。勝手にA級順位戦を不戦敗にしておいて、その処分が不当だったら救済措置として即A級残留を確定するなど、これはもはや政治の世界の論理であって、勝負の、将棋の世界の論理ではないのではないか。A級順位戦を勝ち抜いて名人に挑戦すること3度、遂に名人位5期獲得によって永世名人の称号を得た谷川浩司会長にとって、A級棋士の地位は盤上での指し手ではなく連盟理事会の、それも一度目は明らかに不当だった決定に2度までも左右されても良い程度のものに過ぎないのだろうか。

A級順位戦の三浦九段不戦敗分の取り消しは当たり前だが、その分は指し直しにすべきで、そこで敗れたのならば一敗は一敗として計上するのが、棋士人生ある限り付いて回る順位戦の成績の決め方だろうと考える当方は、いささか単純すぎるのだろうか。

何度か書いてきたことだが、実力名人制以来、順位戦も将棋界も、盤上での指し手こそが全てという勝負の論理に貫かれて成立してきたのであり、その論理に反して挑戦者を差し替えた上、その処分の不当性をA級残留という超法規的措置で補おうとする連盟理事会はもはやこの論理に反しており、この論理に基づく将棋界が崩壊するか、この論理をないがしろにする理事会と将棋連盟が滅びるしかないのではないか、と当方は感じざるをえない。

将棋連盟の正会員たるプロ棋士一人一人が、一手一手の指し手に、人間対人間の勝負に意味を見出し一生を懸けるという将棋棋士の原点を改めて愚直に尊重し、良心的に行動することを、一将棋ファンとして願ってやまない。