小野不由美『図南の翼』

新潮文庫版の『図南の翼』には、北上次郎の解説が付いている。


そしてこれは『本の雑誌』等の、書評やミステリーの世界に詳しい方々にとっては今更なお話だけれど、北上次郎ペンネームであり、目黒考二その人である。


目黒考二が『本の雑誌』に連載していた『笹塚日記』の単行本版を今年読んだので(http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150827/1440682773)、これまた妙に時機が合っているなあ、と思いながら本文読了後に彼の解説を読んだ。


北上が十二国記シリーズを初めて知ったのがこの『図南の翼』で、その面白さに当時の既刊7冊分を一気読みし、書評もあらかた書き尽くされた時期だったので、自らこの作品の書評を売り込んだ、という北上の経験談はなるほど面白かった。


ただ、シリーズ中の「最高傑作」という評価は、この巻の文庫解説の中でとはいえ、ちょっとどうだろう、と感じてしまった。


私は例えばid:Mukkeさん達のような、このシリーズの筋金入りの読者ではないし、同時代に新作に接した経験も欠いている。『図南の翼』はシリーズの中でも面白い作品であると感じるけれども、同時に、他の作品とは少し毛色の違う作品だと思う。どうしても『月の影 影の海』の方が、今回の「昇山」の旅と同じ即位までの物語だとしても、やはり第1弾だったということで十二国記の世界の全体像を示す導入としても優れていたのではないかと思う。官僚たちと将軍たちを巻き込んでの生々しい政治闘争が無いと、ちょっと十二国記という気がしないのは私だけだろうか。


勝手な推測だが、北上次郎は、頑丘や利広といった放浪者たちに、本の雑誌社に泊まり込んでちょっと浮世離れした生活をしている人として、魅力を感じていたのかもしれない、と思ったりする。それから中年の2人と、少女の珠晶という設定にも。


さて私は『図南の翼』を単独で読むことは肯定しないのだけれども、しかしこの1冊は登場人物も限られ話の筋も1本道となっているのを逆手に取った密度の濃い作品であり、多分作者もかなり脂の乗り切った時期に書かれたのではないかと思う。奏国の描写なんて、分量にしたらたったのあれだけなのに、まるで1冊分を読んだかのように、主従たちを良く描いている。


なおこの巻は未だ映像化されていない。ちなみに、私の頭の中で響いてくる利広の声は、初版が出る半年ほど前に逝去されてしまった、ヤン・ウェンリー風の富山敬だったりするのだけれども、十二国記フリークの皆様はいかがでしょうか。


利広の台詞で、「嘘をつくときには、言葉は控えめにしたほうが、本当らしい」と「嘘はたくさんついたほうが、良い場合もある、ということだね」という2つの台詞があるけれども、これは本作にも当てはまるのではないか、と前者に該当しそうな終結部を読み終えて感じたりした。