はてなブックマーク別館 安倍晋三氏と創価学会

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015083002000118.html

で言及したところ、意外に知られていない様子だったので、朝日新聞アエラ編集部『創価学会解剖』朝日文庫、2000年から紹介しておく。
 
 自民党の一部が、新進党創価学会との関係を批判する一方で、選挙のため創価学会との関係を保つ議員も多いという、1990年代の状況。

 (前略)秋谷会長は、村山が退陣した翌日の一月六日の本部幹部会で、
「村山首相が五日に退陣し、宗教弾圧をたくらんだ村山四月会内閣が崩壊しました」
と語り、盛大な拍手を浴びた。
 「四月会」は九四年六月、創価学会に批判的な識者や宗教関係者で結成され、自社さ議員らが支援していた。学会の活動を「政教一致」「政治に対する宗教の介入」などと激しく非難、学会の活動を「政教一致」「政治に対する宗教の介入」などと激しく非難、学会員にとっては目の敵だったからだ。(136頁)

 こういうこともあった。五八年、第二代会長の戸田城聖が、静岡県大石寺広宣流布が達成された時に行う記念式典の「模擬試験」を挙行した。
 各界の代表者らにも招待状が送られ、当時の岸信介首相も招待された。しかし、岸首相自ら足を運ぶことはなく、代理として出席したのが娘婿で首相秘書官だった故安倍晋太郎代議士だった。その時から安倍と学会との付き合いは始まり、息子の晋三(四一)に引き継がれることになった。(138頁)

 亀井は自民党執行部の一枚岩ぶりを強調するが、自民党創価学会の面妖な関係を思うと、学会攻撃も一筋縄ではいくまい。
 東北地方の自民党国会議員は、
「うちの支持者にセンセイのファン、多いんですよ」
と、公明のある地方議員から声をかけられた。新進党対立候補が決まっていない選挙区ではこういう甘いささやきが聞こえてくる。自民党代議士にとって、まとまった票は魅力であり、学会との距離をはかりかねている議員は少なくない。
 そんな中で、安倍晋三の行動はむしろ異色である。九四年六月、四月会の結成総会に出席して関係者を驚かせた。
 晋太郎は学会関係者の就職などの世話をする。学会側は晋太郎に全面的な信頼を寄せて投票する、という関係をずっと続いてきたからだ。
 晋三が小選挙区制導入に反対する仲間とつくった民主政治研究会は反学会の立場を鮮明にしている山崎正友元創価学会顧問弁護士を講師として呼んだことがある。翌日、地元の公明幹部から、
「あなたがあんな会合に出るのはおかしい」
と言われた。内輪の会合にもかかわらず、公明幹部の耳に入っていることにまず恐怖を感じ、こりゃおかしいぞと思い始めた。晋三は振り返る。
「確かに学会とうまくやっていくほうがどんなに楽かなと思いましたよ。でも、小選挙区制が導入されて、二大政党制に近づけば、学会はいずれ自分から離れていく、そう判断したんです」
それで終わりではなかった。ここでも、次は甘いささやきだ。
「◯◯さん(晋三の対立候補となると思われる人物)はうちの支持者に人気ないんですよ」
晋三も心が揺れたが、徹底的に戦うと決めた以上、ヨリを戻すわけにはいかなかった。しかし、晋三は不安げにこう言う。
「僕らが一生懸命になってやっているのに、いつの間にか偉い人たちが握手してるなんていうのではかないませんよ。うちはムチには強いがアメには弱いからなあ」
 小選挙区での選挙は、安倍が言うように学会と完全に対立する場合もあるが、その逆も十分考えられる。自民党新進党が、自民党創価学会とイコールにはならないのだ。
 創価学会が握っているキャスティングボードは、以前にも増して重くなっている。(138-140頁)

さて、「偉い人」となった安倍晋三氏は、2015年に何をされているのだろうか。