酒見賢一『後宮小説』新潮文庫

これもまたまたid:Mukkeさんの本棚企画で挙げられていた1冊。今年は『ルバイヤート』に始まり、読了本への氏の影響が結構顕著な年なのかもしれない。

ここで取り上げる順番は前後するけれども、当方が小野不由美の「十二国記シリーズ」を読み切ってさて何か更に読みたいなあとなった時に、「日本人が書いた三大中華ファンタジー」として氏が紹介しているのが目に留まり、更に良い時機に入手できたので、この間読了。

読み終えて私は、これは人に薦めるか、もう人にも薦めることはないか、の二択で言えば確実に前者であっただけに、ウェブ上での感想には意外に否定的な意見も多く、そちらはそちらで分からなくもない。

少し辛辣なことを言えば、本書は期待を大きくして自室で勢い込んで読むと、前半の展開を退屈に感じてしまい、結果的に読了出来ないで終わったかもしれない。読了してこそ面白みの伝わる1冊というものはある訳で、本書はその度合いがとても強いように思う。

その点で、偶々3時間ばかり列車に乗らなければならなくて、夜の8時からパンとペットボトルのお茶、そして今覚えばこの点も大きかったのだけれども、他の本を1冊も持たずに列車に乗り込んだというのは、恐らく本書の読み方としてはとても幸運な形だったのではないかと思う。

この本は一種のオペラなのだと思う。劇場で最初はわいわい喋ろうと、最後は一同声もなく見入る、という風な反応になるというのもそうだし、内容がこれまた実にオペラ向きだと思ったりもする。

一気に読了する必要があるのは、実は構成がかなり凝縮されているという事情もある。そのため前半から後半への切り替わりに急なところがあり、個人的には思い切りの良い意外な展開だとは思うのだけれど、本書が第1回の大賞を受賞した日本ファンタジーノベル大賞の投稿作品であったという事情から、全体の構成には工夫の余地が残されているように思う。

銀河英雄伝説』既読者限定向けにこの辺りの例えのメモを残すのならば、「第1巻と第2巻を1冊に圧縮した上で、第3巻から第10巻は書かれずに終わってしまった」といった風になるだろうか。

本書は、冒頭から実に身も蓋もなく性を物語の軸に据えているが、余り官能的な印象がしないのは、実は余り耽美的ではなく、性に醒めた視点があるからだと思われる。

さてでは本書はいわゆる歴史小説かと言えばそうでもなく、むしろ正史や一般的な歴史小説の裏をかくような、これも醒めた視点が却って面白い。本書は歴史小説史書の要素を巧く取り入れているが、その上でそれらを超えるようなファンタジーを展開しようと意図しているのであって、歴史小説風であることを見て、歴史小説として十分でないといった点を批判の理由とするのは、少し的を外していると思う。

Mukke氏の、「日本人が書いた三大中華ファンタジー」という紹介は、振り返ると妥当で、奥行きのある表現だと思う。単なる「中華ファンタジー」ではない。著者自身が言明しているように、中国史・中華世界の忠実な再現を目的とした物語ではなく、中国史にモチーフを得た架空世界のファンタジーであることが本書の魅力なのだ。日本の文化が中国からの影響を独特な位置で受け続けたという文化史的な伝統の中で、日本においてこういったファンタジーが書かれたという点ではまさに、本書は「日本人が書いた」中華ファンタジーの1つなのだと思う。