読んだ本 遠山茂樹『歴史学から歴史教育へ』岩崎書店、1980年

 この論文集に収録されている論文や講演記録は、主に1950年代・1960年代に書かれたものが中心となっている。
 本書の構成をみると、冒頭の著者自身による「歴史教育論への私の立場-『はしがき』に代えて」にせよ、巻末の加藤文三による解説にせよ、1970年代末の時点から「戦後歴史学」や戦後の歴史教育をたどろうという発想が強い。出版された段階で既に、史学史的・古典的な著作という位置づけだったことが伺える。

 ただ、本書は2010年代の現在においてもなお、歴史教育論の重要な著作足りえている。数年前に一部を読み、今回ようやく読了した評者が言えたことではないかもしれないけれども。
 
 そもそも「古典」というのは単なる懐古趣味によってでなくて、時代を超えて現在の凡百の書物を吹き飛ばすだけの生命力を有することによって初めて「古典」足りえるのだから、今更言うまででもないのかもしれないけれど。

 本書がなお歴史教育論を考える上で重要な理由として、一面では本書以降の成果がどれだけ積み上げられているかという点が、残念ながら疑わしいというところもあるけれども、他方では本書が基本的な問題をほぼ網羅して取り上げているという点にある。

 子どもの「実感」と歴史の「理論」とにどう向き合うか、歴史を科学的に学ぶ上での系統性と、通史学習による系統性とをどう結び付けるか。

 小学校や中学校といった、それぞれの段階での通史学習に最低限必要な事項は何か。

 戦前歴史教育の反省から歴史学歴史教育との関係をどう考え、どう構築するか。

 歴史教育歴史学の成果、様々な学説の対立をどう反映させるか。歴史学の見方を学ぶために、単元をどういう順番で組み立て、どういう順番でどういう史実を取り上げるか。

 現代史をどう学ぶか、その際個人の経験とどう向き合うか。
 
 以上のような諸問題を理論的・総合的に考察している歴史教育論の著作は、他にそう多くないのではないかと思う。

 勿論著者の専攻が日本近代史・明治維新論であることから、日本史を中心としており世界史についてまでは十分論じられていないという面もあるし、著者は当然ながら、マルクス主義歴史学に基づいた、つまり「階級」認識による歴史の理解を「科学的な認識」として明記している。更にポストモダン的な立場からすれば、「国民」や「民族」を巡る記述は批判の対象だろう。

しかし、著者はそれらの点に自覚的であり、自身のマルクス主義歴史学を絶対化することはしていない。このような著者の立場は、文部省が教科書検定や学習指導要領を通じて行う、歴史学研究の否定や思想統制に対する批判と当然結びついている。
 著者はむしろ、子どもに教条的に歴史学を学ばせるのではなく、子どもの思想の自由に配慮して、歴史認識を深めていくことを目標としている。そしてその前提として、学問の進歩によって歴史学の研究成果が不断に塗り替えられることを期待し、「学界の共有財産」たる学説史に基づいて、歴史学を反映した歴史教育の内容が構成されるべきであることを著者は主張している。

誠にバカバカしい限りではあるけれども、2010年代の現在における日本政府とその歴史認識歴史教育政策を支持する似非保守達は、この半世紀前のマルクス主義歴史学者の主張さえ認めようとしていないのが実状ではないだろうか。保守を通り越した反動に対して、本書はなお鋭い批判を展開しているのと同時に、歴史教育の難しさを今日なお原点として読者に提示し続けているように思われる。