『シリーズ大学1 グローバリゼーション、社会変動と大学』岩波書店、2013年

  • 『シリーズ大学1 グローバリゼーション、社会変動と大学』岩波書店、2013年


シリーズ出版当初に関心は持ったのだけれど、率直に言ってさほど積極的に読む気はしなかった。目次を見て、高等教育論が専門でない人間にとっては、いささか冗長な構成に感じられたところがあったからと言える。

ただ現時点では、大学を研究対象とする教育学・高等教育論よりも幅広い分野の読者が、大学について考える上で結構役立つシリーズだという風に思っている。


全7巻のうちの第1巻で、去年一度第6巻を読了しているけれども、総論的なこの巻を初めて通して読んでみた。
編集委員でもある吉田文と広田照幸の論考が中心となっている。



まず序論も書いてる吉田の「1 グローバリゼーションと大学」は、世界的なグローバリゼーションの状況の中に大学を位置付けて、一国という枠をこえた世界の状況を批判的に検証しつつ概観してみせる。OECD世界銀行などの国際機関に対する分析が面白く、なるほど初等中等教育の方で近年しばしば話題になっている国際学力調査というのは、それ自体が極めて政治的かつ思想的な取組みなのだなあと感じさせられた。世界銀行等による、ラテンアメリカ諸国の大学に対する新自由主義的介入のくだりも興味深くて、未読のままのハーヴェイによる新自由主義論とも結びつけられる論考だと思う。



広田照幸「2 日本の大学とグローバリゼーション」は、もともと広田が教育史や教育思想についても論じていることもあって個人的には結構読みやすかった論考で、グローバリゼーションの影響の中でいかにイデオロギー的な大学の「質」を巡る議論が展開されているかという状況を、大学を巡る「古い理想」と対比させながら分析している。



松本三和夫「3 知の分断化と大学の役割」は、社会学者である筆者の具体的な社会調査を巡る回帰分析の話が結構長々と記されていたりして、一気に話が具体的な事例分析に飛んでおり、もう少し著者間で調整しても良かった気はしてしまうけれども、ポストドクター層と専任教員層との論文投稿を巡る意識の違いから、研究発表行動の「本末転倒」の傾向、「空洞化」について取り上げている。STAP細胞事件の前年に出ていることを考えると、一般的に論じられがちな問題を個別具体的に検証しようとした、という点で、敢えて本論集に収録する意味を考えないではないけれども、意義のある論考ではあると思う。



松繁寿和「4 グローバル化による競争環境の変化と求められる人材」は、まず個人的には筆者といえば放送大学での労働経済論の講師という印象が強く、何も労働経済学を専門とする筆者にわざわざ経団連の経営者みたいな主題の話を振らなくても良いのにと思わなくもなかった。ただ、経済界・経営者の大学への人材育成論というのは場当たり的で、仮にも「世界のビジネスの最前線」での経験に基づいた議論がああいった印象論に近いものなのかと改めて感じるという、経営者とは違った視点で人材論を考える上での意味は少なくともあったと言える。



鳥飼玖美子「5 グローバリゼーションのなかの英語教育」は、EUの多言語政策の理念についても言及したりしていて、想像していたものよりも英語教育自体の意義を再考するような内容で面白かったのだけれども、本書刊行後の2年間もそれ程状況が変わっているように見えないのがまた。



土屋俊「6 デジタル・メディアによる大学の変容または死滅」は、アメリカでのオンラインによる授業提供プログラムMOOCの動向を軸に、教育と研究を行う大学による学位授与の意味の揺らぎから、大学自体の死滅について、哲学者である筆者独特の口調も伺わせつつ記述している。大学論の前提としての、民間学なり民衆的な学びなりといった、大学外での学問や研究の経験に関する目配りが薄い気はしてしまうけれども、デジタル情報ネットワークの時代においては大学教師や大学を経由した情報伝達が揺らいでいるという視点は、確かに大学教育全般を考える上で重要であるだろう。