稲田義智『絶対に解けない受験世界史:悪問・難問・奇問・出題ミス集』を巡るメモ(三)

稲田義智『大学入試問題問題シリーズ1 絶対に解けない受験世界史:悪問・難問・奇問・出題ミス集』社会評論社、2014年

実は一連の記事の中で、1か所だけ「社会思想社」になっていたので、訂正致しました。「既に倒産した現代教養文庫の版元じゃないよ」と言われかねないミスで、お詫び申し上げます。


7.美術史と著者の趣味

著者の個性が活きたと感じられる側面としては、やはり御専攻の美術史に関する視点と、様々な著者の趣味を挙げることが出来る。

まず美術史については、中国からヨーロッパまで、個々の問題での分析に活かされているのは勿論、コラムとしても教科書の美術史記述に関する批判が為されている点は、やはり特筆するに値するだろう。例えばp.275の玉器に関する記述、p.285の北方ルネサンスに関する提案等は、説得力があったと思う。

またp.105のように、当時開催されていた美術展から出題者の選択を推理している辺りも、美術関係者でないと気付かないであろう点で面白かった。

そもそも大学入試というのは英語のリスニングテストを除けば究極の二次元的世界な訳であるけれども、その二次元的な入試問題を三次元的な視点から捉える辺りに、独自性があるのではと感じている。


そういった美術史と対になりそうなのが音楽史なのだろうと考えさせられたのだけれども、そちらについては後で個別に記していくこととしたい。

さて著者の趣味が随所ににじみ出ているのも本書の特色なのだけれども、歴史ゲームや三国志といったいかにもという領域から、意外なところでは23頁でさりげなく相撲マニアとしての視点から駿台の講評を批判していたりと、油断すると時折出現するネタの数々を見落としそうになった。

1点だけ、伏線として実に凝っていたので言及しておくと、376頁でさすがに最近の受験生にはファースト・ガンダムの話は分からないだろうかと紳士的な態度を示しておきながら、他方で445頁になると同作品のネタを入れて趣味に走っていた記述には、範囲外からの出題を行う大学側並の容赦の無さを感じて、笑いそうになってしまった。逆にゲーム関係で色々と気付かなかったネタも多かったのかもしれない、とは感じている。

8.記述に関する論点その1 活字版 

以下、記述に関連した論点を2つほど。
158-159頁157-158頁、中央大学出題の、秀吉が朝鮮から持ち帰った金属活字が、慶長活字版や駿河版の基となった旨の記述を、著者は大学側は正解としているが慶長活字版が木版活字であることから、誤文ではないかという疑問を提示している点。

実は手持ち資料の関係で、著者が当たったであろう日本史の用語集や百科事典の記述は確認出来ていないので、以下は偶々手元にあった中野三敏『和本のすすめ』岩波新書、2011年や、本来図書館司書課程のテキストである小黒浩司編著『JLA図書館情報学テキストシリーズ3 11 図書・図書館史』日本図書館協会、2013年、今日偶々参照できた同じく司書課程向けの寺田光孝他編『新・図書館学シリーズ12 図書及び図書館史』樹村房、1999年辺りの記述しか参照していない論点提示であることは、お断りしておきたい。

著者も別に「誤文である」とまでは断言していないし、私も完全な正文であるとは全く考えないのだけれども、慶長活字版が木版活字であることだけでは、この事例の有する悪質さを示すには、いささか解説として不足気味ではないかという印象を抱いた。中央大の問題文自体が、「基となった」というかなり不明瞭な記述を誤文選択問題で用いている点も、批判の対象とすべきではないかと思われる。

まず大前提として、近世日本の印刷史上、初期の潮流として挙げられるのが活字印刷技術の伝来であり、1つにはキリスト教と共にもたらされた西洋式の活字印刷、2つには朝鮮出兵によってもたらされることになった朝鮮式の金属活字による印刷とであることは、共有されていると言って良いだろう(中野前掲書p.101-102、小黒前掲書27-30頁)。

「基となった」という記述の悪質さは、拡大解釈すればこの潮流の影響さえあれば正文となってしまう点にあるとも言える。

とりわけ厄介であるのは、慶長勅版の前段階として「文禄勅版」と呼ばれるものも存在し(偶々発見したこちらのサイトが、古いので学説の変遷の反映については疑問だけれども、なかなか詳しい→http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/05/5100.html)、そちらでは秀吉が後陽成天皇に献上した朝鮮式の金属活字を用いて、銅活字で現存はしてない『古文孝経』が印刷されたと「される」点であろう(小黒前掲書p.28等)。従って問題文bが仮に「文禄勅版」、或いは多少ぼかして「後陽成天皇による勅版」であれば、正文となっていたということになる。

これも強弁すれば、慶長勅版の前段階での文禄勅版では朝鮮式の銅活字が用いられており、それらの銅活字を模して木版活字が作られていたのだから、「基となった」と解釈出来るという主張もあり得るので、あるいは大学側の想定はこういった強引な解釈だったのだろうか。

後陽成天皇の後の、後水尾天皇の下での元和勅版にも一応銅活字が用いられているので、わざわざ「慶長活字版」に限定した出題者は一体何を問いたかったのだろう、という気さえしてしまう。

中野三敏による記述を読むと、彼が強調しているのは古活字版の金属活字から木版活字への変化よりも、古活字版による印刷自体が寛永期に一気に復活した整版印刷に取って代わられる一大変化であって(中野前掲書、p.101-105)、やはり出題者に対する徒労感を覚えてしまう。

そもそも今回調べて私も知ったのだけれども、『古文孝経』は発見されていないことにも示されているように、こういう不確定要素のあって学説の変遷が在る領域を出題する時に、「基となった」等という不用意な表現を用いた時点で批判されるべきであろう、と著者が他の事例で述べているのと同様に感じさせられた事例であった。

9.記述に関する論点その2 ハイドン交響曲 

p.245の解説、正解のオラトリオは『四季』で、誤答のうち『軍隊』と『驚愕』は交響曲である旨が記述されているけれども、もう1つの誤答選択肢である『時計』への言及がないのは、『時計』も交響曲第101番の後世での愛称であるという点を踏まえると、改善する余地のある記述ではないだろうか。それとも、『時計』という別の曲が存在しているのだろうか。

ちなみに、私は唯一『驚愕』だけは聞いたことがあって、他の3曲を聞いたことがない点では、こういった論点を出す資格が怪しいのだけれども…。