はてなブックマーク別館 第5回 従軍慰安婦とアメリカの歴史教科書を巡って

この記事は、以下の4つの記事での議論への再応答です。

http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150311/1426000131

http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150328/1427521543

http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150510/1431259199

http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150523/1432367644

まずは先の記事へのコメントを、全文引用いたします。

私こそ「言葉が通じない」という思いを抱いております。「激怒」ですって。私の方は呆れておりますが。
先に私を「安倍全面支持」呼ばわりしたのは一体誰なのでしょう。

「今回の安倍や官僚たちの言動は正しいんだよ。歴史学者たちの方が間違っているんだ」

そうは言っていません。私が書いたのは「安倍率いる日本政府の言動が妥当か否かは予断を持つべきではありません」です。安倍や官僚があなたの主張するような間違った言動を採ったと高い蓋然性をもって推定できるだけの根拠はないから、想像を根拠に発言すべきではない、ということです。

もっといいましょうか。マグロウヒルや教科書関係者は、そのようなことがあったとするならばそのことを暴露して批判することができたはず。あるいは、安倍や官僚「以外」から寄せられた指摘に対して反駁なり訂正なりできたはず。しかし実際にやったことは紋切り型の応答でした。間違いがあろうがなかろうが知ったことじゃないと言わぬばかりの態度、これが不誠実でなければ一体何なのでしょうか。

政府が歴史教科書の記述について意見を発するということは、ある特定の歴史的な解釈を政治権力によって強制する、と捉えられても致し方ないからこそ、アメリカの歴史学者たちは「言論弾圧」として反発した訳で、それを「不誠実」と捉える方こそ不誠実です。

「意見を発する」だけで「強制」になるという考えが私には到底ついていけない(現に、今回のように門前払いすることもできている)のですが、では確認しますが、中国や韓国が日本の歴史教科書(たとえ「つくる会」のそれであっても)に意見をすることも不当である、とあなたはお考えなのですね。そこまでおっしゃるなら、決して同意はいたしませんが、一つの筋が通った考えであるとは認めましょう。

ちょっと事実関係の確認を致したいのですが、「最近の研究者たちの声明については、日本以外の各国の責任を棚に上げているなどの点で大きな偽善を感じるものの、教科書の記述に史実として定かでないことがあったことを認めている点は評価されるべきと思いますが」で言及される「声明」って具体的にどれでしょうかね。

おそらくご承知であろうに、どういう意図で訊かれるのかわかりませんが、こちらですよ。
https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-jpn_0.pdf
念のため、あなたの今までの傾向からして「この声明には虐殺云々は触れられていない」「件の教科書の件は明示されていない」云々と噛みついてくるでしょうから、専らこの声明は件の教科書の件と関連すると陰に陽に語られていることや、「教科書の記述に史実として定かでないことがあったことを認めている」というのは「全面的に」という意味ではないということを付け加えておきましょう。

じゃあこの記述がSTAP細胞並みにアウトの、例えば執筆者の学位を剥奪して学界から追放する程の誤りだというのはどうしてそう言えるのでしょうか。

不正確ですね。私は「この件で米国の学界に対して覚える怒りは、量的にはともかく質的にはSTAP細胞の捏造をやらかした人に対して覚える怒りに近いです」と書いたわけで、「STAP細胞並み」とまでは言っていないわけです。「量的にはともかく」と言っているわけで、当然そこには大きな差があることから「執筆者の学位を剥奪して学界から追放する程の誤り」とまで言ったつもりは毛頭ありません。
「虐殺」の人数の件もそうですが、あなたと話をしているといつも「程度の多寡」の話がいつの間にか全か無かの二者択一に飛ばされてしまうので話が無用に混乱して困惑します。

私個人としても敗戦前後の「虐殺」の部分は「遺棄」の方が良いだろうなあ、とは考えてはおりますが

それ以上に定量的な問題ですよ。何度も言いますが、教科書とは素人が読むもので、あれでは「20万人」のうちの大半が虐殺されたと誤解します。「消防署の方から来ました」と同じようなもので、玄人が読めば嘘ではないとわかると言われても、そういう誤解を与えることで被害を受ける当事者としては堪ったものではない。そしてその被害を受ける利害代表者である日本政府がそれに対して抗議することが「弾圧」だの「強制」だのというのは開き直りも甚だしいと思いますがね。

別に歴史学者たちは学問の基本に則った批判に対してまで応じないと主張している訳ではないでしょうに。

「学問の基本に則った批判」とは「誰がするか」ではなく内容の問題なわけで、その時点であなたの議論は既におかしいわけですが、曲がりなりにも秦郁彦氏や大沼明彦氏が問題提起している(繰り返しますがそこで藤岡や西尾を絡ませたことは私は愚行であると思っています)わけで、それが無視されているのもまた事実ですよ。

敗戦前後の「虐殺」は記述として確かに妥当とは言いかねますが、これはやはり訂正すれば通用するレベルの記述だろうと思います。歴史学者たちが歴史研究の進展に応じて、不断に自ら歴史を書き換えていく、という学問の基本にそって、研究者である執筆者自身が己の学問的良心から記述を書き換える、というのがあるべき姿勢かと考えます。

そしてその「あるべき姿勢」をとっていないことが問題だ、と言っているのではないですか。結局あなたと私の認識はそう大きく違わない。なのに、どうして私を安倍支持者と決めつけるんです?結局、安倍の言うことを微塵も認めたくないだけではないですか。

「誤読」による政治的影響まで考えなければ「悪意」って凄い発想ですねとしか。

「無知でなければ悪意」と書いたでしょう。あなたはそうやって、私の書いたことから修飾語を削って、大袈裟なことを言っているかのように解釈する傾向が見られますが、わざとですか?ともあれ、これは学術論文ではなく教科書であるということですよ。そして素人は確実に誤読しますよ。「消防署の方から来ました」と同レベルにはね。

史実と解釈・問題意識を殊更に峻別しようとすると、後者を用いて前提である前者をも損なうレベルの発想にはどう対応するんでしょうね、という反論だったのですが。
そのレベルで「一歩前進」と判断するとは思いませんでしたね。ほぼ「事実」まで書き換えるレベルの変更で、それこそ「前提」を破壊するような議論でしょうに。

あなた、自分が言ったことを理解してますか?
あなたの例は、ネオナチが「十歩明後日の方向にいるところ」と「九歩明後日の方向にいるところ」を比べて、さあどっちがよいのだといっているようなもの。そりゃ、ホロコーストがあったという事実だけでも認めている後者の方がよいに決まっています、と答えるしかない。その「九歩明後日の方向にいる」状態が望ましいかどうかについては敢えて言うまでもない話でしょ。
そう言われて不満なのなら、問題の立て方自体が間違っているんです。少なくとも私はネオナチでも安倍でもないので「九歩明後日の方向にいる」状態がダメだといわれても、さよでんなあ、としか。"I AM NOT ABE" ってやつですわ。



そりゃ「激怒」も致しますよ、あなたは御発言を余りにもころころと変えられるのですから。
別に議論の間でご意見を変えられるのはむしろ大歓迎ですし、私だって多少考えの変わっているところや後で思い出したことなどもありますけれど、「最初からこれこれこういうつもりだった」と後出しジャンケンでおっしゃられてもねえ、と感じざるを得ないのです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/241678722/comment/shigak19

id:shigak19 おっしゃる意味が理解できませんし、今回の抗議に関しては政府の抗議は「教科書の記述を史実から逸脱させるな」という趣旨であり妥当と考えます。実際に教科書は逸脱しているからです」(2月21日)


http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150311/1426000131

「私は確かに『今回の抗議に関しては政府の抗議は「教科書の記述を史実から逸脱させるな」という趣旨であり妥当と考えます』と書きましたが、"100%" と思っているなら「今回の抗議に関しては」などと限定を付すわけがないでしょう。また、これはわからなくても仕方がありませんが、「政府」と書いたのは「外務官僚」という含意があります。外務官僚が抗議の範囲を巧妙に調整して穏当な範囲に落とし込んでいるということです。実際、今回の抗議の内容は "The facts" に書かれた荒唐無稽な内容に比べれば随分控えめです。」(3月11日)

で今回は

「そうは言っていません。私が書いたのは「安倍率いる日本政府の言動が妥当か否かは予断を持つべきではありません」です。安倍や官僚があなたの主張するような間違った言動を採ったと高い蓋然性をもって推定できるだけの根拠はないから、想像を根拠に発言すべきではない、ということです。

ですか。いやもう笑うか怒るかしかないですよ、一体2月のあなたはあなたご自身だったの?と。

なぜあの時、「いや安倍は間違っている時もあるけれど、今回は妥当かどうかは分からないけれど予断を持たない方が良いよ」の一言を言ってくれなかったのですか、ひどいなあ。友人や同僚との会話でこんなことになったらお家帰って泣きますよ(C木村一基八段)、私は。

それともあなたの御受けになってきた教育では、

「今回の抗議に関しては政府の抗議は『教科書の記述を史実から逸脱させるな』という趣旨であり妥当と考えます。」

と書かれていたら、

「安倍率いる日本政府の言動が妥当か否かは予断を持つべきではありません」

と読解しなければならないのですか。

いやもう当方は高校現代文の評論文で余り苦労したことはなかったという程度の読解力ですので、
私なんぞのような頭の悪い人間とではなく、超絶的な読解力を有した方々とどうぞご議論をなさって下さい、私は私として応答したいと思っているので応答しているだけですので。なるほど「無知でなければ悪意」とはこういう現象のことをおっしゃりたかったのでしょうか。

補足しておくと、私はここでの第2回の記事で、多少「妥当でない」ということがうかがえるのではないか、と考える証拠を既に提示しておりますが、それらを推定できる根拠とお認めにならないのならば、どうして第2回へのコメント欄ではご批判にならなかったのか、解せないところです。

http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20150328/1427521543

それに第2回の段階で、私自身も外務省の現在の情報開示の現象では実際のところ良く分からないところはあるのでは、とまで書いておるのですから、あなたがその場で「そうそう、まだよく分からないんだから予断を持つなと言ってるだけですよ」とでもおっしゃればまた違ったのではないでしょうか、と凡人としては感じるところであります。ま、その場合2月と3月の御発言の矛盾をどう解決されたのか、今となっては当方の感知するところではありませんけれども。

ちなみに言うと、上記の2月11日のあなたのリプライではとても是々非々の立場に立つ非安倍支持者とは読めなかったことから、ここの第1回で当方はもしやあなたは安倍首相を100%支持されているではという大変失礼な前提で議論を進めたのは申し訳なく思っています。ただその次の第2回からは、「で、安倍支持者じゃないというあなたは一体どうして今回の安倍以下の言動を支持しているんですか」という議論を展開したにもかかわらず、回答さえなかったので、こちらは別にもう「安倍支持者」とは決めつけていないのにロクに根拠も挙げないし回答もされないのはどういう訳だ、という批判となったのです。

もっといいましょうか。マグロウヒルや教科書関係者は、そのようなことがあったとするならばそのことを暴露して批判することができたはず。あるいは、安倍や官僚「以外」から寄せられた指摘に対して反駁なり訂正なりできたはず。しかし実際にやったことは紋切り型の応答でした。

いや彼らは最初から強制性一般を否定するような圧力だから批判する、と主張しているじゃないですか。であなたはそれが「紋切り型の応答」だから、抗議は「虐殺」等の「史実からの逸脱」に限定されていると?反論内容が「紋切り型」だと反論した事実がないことの証明になるのですか。

後でも述べますが、秦・大沼両氏を「歴史研究者」と評価するかはおいておいて、安倍首相以下の政府・官僚以外からの訂正要求って、あなたもお嫌いのはずの産経等「民間右翼」ははねつけられても仕方がないのはまあお認めでしょう、右翼だろうと左翼だろうと歴史研究自体を否定する側からの要求なのですから。

そういう意味でも、私はid:Apemanさんの感覚が面白いと思うのですよ、仮に吉見義明が訂正要求をしたら彼らはどう応じるか。私としては日本の歴史研究者からの要求にも一切応じないようならば、彼らの「不誠実」を批判するにやぶさかではないですが、政府や民間右翼からの圧力に応じなかっただけで「不誠実」と呼ぶのはそれこそ「予断」があるのではないか、という段階だと感じますけれどね。

ちなみに、日本領事館職員がハワイ大の研究室までアポなしで押しかけて訂正要求をしたという、実に「強制」という語に合いそうなエピソードが報道されていたのはお忘れなのでしょうか、あちらは「不誠実」じゃないのですかね。

「意見を発する」だけで「強制」になるという考えが私には到底ついていけない(現に、今回のように門前払いすることもできている)のですが、では確認しますが、中国や韓国が日本の歴史教科書(たとえ「つくる会」のそれであっても)に意見をすることも不当である、とあなたはお考えなのですね。そこまでおっしゃるなら、決して同意はいたしませんが、一つの筋が通った考えであるとは認めましょう。

門前払いできれば圧力や強制性ではないって感覚の方が余程分からないというのはさておいて、基本はどこの国の政府であろうとどこの国の教科書に対しても意見を差し控える、とういうのが私はあるべき姿だと思っていますよ。教科書記述を批判するべきはまずは歴史研究者であり、歴史教育者であり、言論界であり大衆であるべきだと。

そういう立場からすると、歴史学界から総批判を受けたつくる会のような教科書を検定で合格させた文部省・文部科学省や採択した一部自治体はやはりお話にならないレベルで理不尽なことをやってくれたと思っていますし、中国・韓国政府からの訂正要求が出る前の段階で抑えるべきだと考えていますけれども。

そして第2回以降私が散々、政府による教科書批判が許される場合というものを例外として挙げているのは実はこの問いに答える為なのですよ。例外的な非常措置として、相当限定された範囲で初めて許される、本来は認められないことを認めるという緊急避難的な場合として初めて認められるという立場です。その場合に今回の安倍首相と日本政府の言動が当てはまるかいなかで私は当てはまらないと考えますし、基本的には中国・韓国政府からであろうと個別の教科書への介入は不当であり、ごく例外的な場合のみ認められると考えるとお答えいたしておきましょうか。


おそらくご承知であろうに、どういう意図で訊かれるのかわかりませんが、こちらですよ。
https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-jpn_0.pdf
念のため、あなたの今までの傾向からして「この声明には虐殺云々は触れられていない」「件の教科書の件は明示されていない」云々と噛みついてくるでしょうから、専らこの声明は件の教科書の件と関連すると陰に陽に語られていることや、「教科書の記述に史実として定かでないことがあったことを認めている」というのは「全面的に」という意味ではないということを付け加えておきましょう。

そこまでご配慮いただいて恐縮ですが、当方の反論への認識は少し甘かったようですね。「教科書の記述に史実として定かでないことがあったことを認めている」ということをあなたが読み解いた部分は具体的にどこですか。こちらももう後から「実はこの部分を根拠にしていたのに勝手に批判された」などと「誤解」されるのも嫌ですからね、最初から引用されるか、箇所を言及された方が話が早かったかと。

不正確ですね。私は「この件で米国の学界に対して覚える怒りは、量的にはともかく質的にはSTAP細胞の捏造をやらかした人に対して覚える怒りに近いです」と書いたわけで、「STAP細胞並み」とまでは言っていないわけです。「量的にはともかく」と言っているわけで、当然そこには大きな差があることから「執筆者の学位を剥奪して学界から追放する程の誤り」とまで言ったつもりは毛頭ありません。


いや不正確な反論ではないでしょうか、こちらは「質的」に同じレベルなのですか、と反論してもいるのですから。

「虐殺」の人数の件もそうですが、あなたと話をしているといつも「程度の多寡」の話がいつの間にか全か無かの二者択一に飛ばされてしまうので話が無用に混乱して困惑します。

それは申し訳ありませんね、でもそれでしたら当方があなたの「20万人が強制連行されて虐殺」されたという実に「全」なブックマークを読んで以来どう感じているかという点はご理解頂いているものと思いますけれどね。

それ以上に定量的な問題ですよ。何度も言いますが、教科書とは素人が読むもので、あれでは「20万人」のうちの大半が虐殺されたと誤解します。「消防署の方から来ました」と同じようなもので、玄人が読めば嘘ではないとわかると言われても、そういう誤解を与えることで被害を受ける当事者としては堪ったものではない。そしてその被害を受ける利害代表者である日本政府がそれに対して抗議することが「弾圧」だの「強制」だのというのは開き直りも甚だしいと思いますがね。

散々申し上げておりますが、あなたの「誤解」の通りにあの文章が読解できる程に、あの文章が(変な話ですが)明確に書き間違えているとは言えないという立場から、当方は疑問を呈してきた訳で、あなたの「誤解」の通りに素人たるアメリカの高校生たちも「誤解」するんだ、という点をもっと御主張頂かないと、根拠としてはちょっと弱いかなあと受け取っております。

「学問の基本に則った批判」とは「誰がするか」ではなく内容の問題なわけで、その時点であなたの議論は既におかしいわけですが、曲がりなりにも秦郁彦氏や大沼明彦氏が問題提起している(繰り返しますがそこで藤岡や西尾を絡ませたことは私は愚行であると思っています)わけで、それが無視されているのもまた事実ですよ。

『「誰がするか」ではなく内容の問題なわけ』という基準をそのまま適用いたしますと、少なくとも今年の秦・大沼両氏の主張は、全然「学問の基本に則った批判」ではないので、無視されても致し方ないと当方などは考えます。秦御大にいたっては、かつて自身が基準とした日本軍の兵員300万という数字を、今年は100万であると過少に主張されていて、学問以前の段階での議論の錯誤に、批判的にとはいえ秦郁彦本を読んできた者として残念至極なのです。両氏の問題提起を、両氏の経歴から重視されるのでしたら、あなたの方こそ両者の今回の主張の学問的正当性を無視し過ぎでしょうに。

そしてその「あるべき姿勢」をとっていないことが問題だ、と言っているのではないですか。結局あなたと私の認識はそう大きく違わない。なのに、どうして私を安倍支持者と決めつけるんです?結局、安倍の言うことを微塵も認めたくないだけではないですか。

えーと第1回で安倍支持者ではないか、という風に疑問を呈したことが、「安倍支持者と決めつけ」たということでしたらその点については当方は明確に謝ります。申し訳ありませんでした。

が、「結局、安倍の言うことを微塵も認めたくないだけではないですか」
これは全く違います。
首相が私と同じ政策なり志向なりを語るのならば、私は確実に認めますよ、多分。

実際に私はここまで5回も記事を書いた程度には、
安倍首相の今回の慰安婦に関する言動が正当だと言える根拠があるのならば、
その根拠に基づいて認めても構わないと考えていますしね。
その点は他の「はてサ」諸氏とやらよりは、
かなり慎重に過ぎるとさえ思っておりますが。

「無知でなければ悪意」と書いたでしょう。あなたはそうやって、私の書いたことから修飾語を削って、大袈裟なことを言っているかのように解釈する傾向が見られますが、わざとですか?ともあれ、これは学術論文ではなく教科書であるということですよ。そして素人は確実に誤読しますよ。「消防署の方から来ました」と同レベルにはね。

えーと私あなたのコメントは分割とは言え一応全文引用した上で記事を書いていたので、それこそ読者は私のコメントの一行上の引用部であなたが「無知でなければ悪意」と書かれているのを読んでいる訳ですから、こちらが「悪意」の存在について疑問を呈しただけであなたが単に「悪意」と書いたなどと「誤解」する訳がないと考えたのですけれどね。

で、あなたは当方の解釈や誤解については批判される割に、教科書記述に関しては誤解の必然性を力説され、特に不思議なのは誤解の仕方が1通りだと御主張されているかのようであるという点ですね、一体どうしてあなたの解釈通りに高校生たちが「誤読」すると言えるのか、という点はせっかくなのでもっと正当性のある根拠を掲げて戴きたいところであります。

史実と解釈・問題意識を殊更に峻別しようとすると、後者を用いて前提である前者をも損なうレベルの発想にはどう対応するんでしょうね、という反論だったのですが。
そのレベルで「一歩前進」と判断するとは思いませんでしたね。ほぼ「事実」まで書き換えるレベルの変更で、それこそ「前提」を破壊するような議論でしょうに。

あなた、自分が言ったことを理解してますか?
あなたの例は、ネオナチが「十歩明後日の方向にいるところ」と「九歩明後日の方向にいるところ」を比べて、さあどっちがよいのだといっているようなもの。そりゃ、ホロコーストがあったという事実だけでも認めている後者の方がよいに決まっています、と答えるしかない。その「九歩明後日の方向にいる」状態が望ましいかどうかについては敢えて言うまでもない話でしょ。
そう言われて不満なのなら、問題の立て方自体が間違っているんです。少なくとも私はネオナチでも安倍でもないので「九歩明後日の方向にいる」状態がダメだといわれても、さよでんなあ、としか。"I AM NOT ABE" ってやつですわ。

いやあなたこそ何か変に難しく考えすぎではないですか。
私の言いたいのは、単純に史実と解釈・問題意識とを組み合わせて「史実」把握をした方が、「十歩明後日の方向にいるところ」だけではなく、あなたもダメだとお認めになった「九歩明後日の方向にいる」状態も批判出来て良いじゃないか、とあなたの史実・解釈分離論を批判しただけなのですがね。