書房日記別館 チェイニーとバターンについて

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 基本的な立場として、チェイニーの発言は全く容認出来ません。テロ容疑者に対する残虐行為を正当化するこの発言は、旧日本軍の残虐行為を批判しつつ自国の国家権力の引き起こした犠牲を弁護するものとして、アメリカの対外強硬派が自国の暴力による人権侵害について肯定し助長していることを明らかにしているもので、私も批判したいと考えます。

 しかし、CIAの人権侵害を頑なに認めようとしないチェイニーを批判する以上、かつて自国の軍隊が引き起こした残虐行為を肯定して居直ることは、チェイニーに対する態度としては最悪とさえ思えるものです。そのような主張は、CIAの残虐行為は批判するけれども旧日本軍の残虐行為については開き直るか無かったことにするという、他国の行為を持ち出しつつ自国の行為からは目を背けるというまさにチェイニー的な言動に他ならないのです。

 チェイニーの旧日本軍批判には、多分にアメリカよりも日本を下に観る差別的な発想が含まれていることも否めませんが、しかしバターンと南京において日本軍による残虐行為が発生したのは事実であります。と同時に、アメリカを批判し日本を賛美する人々の主張は全部は肯定できませんが、チェイニーが許容したCIAの行為も人権侵害と捉えるのが妥当であり、彼も戦争に伴う残虐行為について法的責任を問われても致し方ないという点については妥当性があるのです。

 ゆえに、私としては、今回のチェイニー発言への批判と同時に、なぜアメリカの残虐行為を批判する層の中に、アメリカを強く批判し日本を擁護する余り旧日本軍の残虐行為まで許容する傾向があるのか、と疑問を呈するようなブックマークを投稿したのです。互いに他国のことについては残虐行為を比較的正当に批判出来るのならば、いっそ自国も他国も両方批判すればすっきりするのに、とさえ感じたのでした。

 そこへid:addaddadd氏から冒頭のようなIDコールがあった訳です。

 チェイニー発言を差別的、「差別主義的プロパガンダ」と捉えることには私も違和感はありませんが、私は日本が差別されたというよりも彼の日本やテロ容疑者たちをも含めたアメリカ以外・自国以外への差別意識の存在こそが差別的として批判されるべきだと考えています。

 ただし、旧日本軍の残虐行為を批判的に捉えるという点だけは、否定できないということで、以下のような「応答」が「適切」と考える次第です。

「チェイニーさん、確かにあなたのおっしゃるように旧日本軍はバターンや南京で虐殺行為を犯しました。しかし、それと今度のCIAの残虐行為とが全く別種であるというあなたの主張は全く受け入れられません。旧日本軍と同じく、基本的人権を侵害する行為であり、戦争犯罪として裁かれるに値する行為であると考えます。従ってその点を認めず、自国の犯した残虐行為や暴力のみを擁護するあなたの姿勢は、自国民に為された行為や他国民の犯した行為を批判する立場と矛盾し、自国に甘く他国やテロ容疑者達のみを低く捉える差別的なものと考えざるを得ません、従って私はあなたの発言に反対します」

「認めた」は、ごく普通の意味の認める、です。バターンで多くの人命が失われ、それは日本の引き起こした戦争の中での旧日本軍の行動によってもたらされた結果であることを、事実として認めることです。私は謝罪や責任の履行まで「認める」に入れるつもりはありませんが、事実として認めた人は大部分が両者についても賛同するものと考えます。

最後に、バターンでの事態を「事故」として説明することには、少なくとも現時点では、私は同意できません。

バターン死の行進」は、飢え・病気で多くが苦しんでいた捕虜を炎天下に移動させ、約7万6000人のうち約1万7000人が死亡した事件で、死因としてはマラリアが多かったとされ*1、こう書いただけでは何やら「事故」のようにも読めるかもしれません。

シンガポールマレー半島での旧日本軍による虐殺事件に比べ、軍の責任追及についてはかなり慎重な記述がされている場合もあります*2

この事件は、捕虜の多くが飢えとマラリアなどで衰弱し、日本軍にトラック輸送などの余裕がなかったことからおこったものであって、アメリカ側が「バタアン死の行進」と宣伝したような組織的かつ計画的な虐殺事件ではなかった(木坂同書、233頁)

ただしこのような、一見addaddadd氏の唱える事故説に近いような記述をする歴史研究者にして、以下のように結論付けています。

しかし、手ぶら同然の捕虜がばたばたたおれたのをみると、捕虜の移動計画と待遇に非常な無理があり、その責任はまぬがれがたい(同)

旧日本軍による「無理」が捕虜の死をまねいた、という点で、単なる「事故」と片づけてはいないのです。

 この歴史研究者の叙述では、バターンでの犠牲者について、アメリカ軍人2300人とした上で、「多くのフィリピン兵」については「数字不明」としていました(同)けれども、その兵士たちについて、別の歴史研究者の叙述では、「日本兵に頭を殴られ、剣を首筋に突きつけられ、空腹に悩まされながら歩かされた」フィリピンの元兵士の証言が紹介されています*3。旧日本軍による、捕虜虐待という残虐行為を否定されるのならば、それ相応の論拠が必要でしょう。

 この点に関しては、戦争責任問題関連で様々な記事を書かれているApeman氏(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/)のダイアリーで、バターンを踏破してみたが別に死にはしないという風なルポによる虐待否定論が、旧日本軍の計画の不備から戦時国際法の遵守に関する問題点までの事件に関する様々な問題を覆い隠すものとして批判されています。御参照下さい。

 どうもaddaddadd氏の主観としては、旧日本軍は双葉病院の関係者のように、患者ならぬ捕虜たちを助けたい一心だったが不幸にして死亡させてしまったのであって彼らの責任を問うのは「誤報」であるとでもおっしゃりたいようなのですが、私は原発事故という緊急事態の中で患者を守ることを要求された双葉病院の関係者をむしろ貶めるような対比ではないかと危惧致します。旧日本軍には、双葉病院の関係者よりも広い裁量の余地があったのですし、何より双葉病院の関係者は移動できない患者を銃剣で脅したりは決してしなかったのでしょうから。

 

*1:歴史教育者協議会編『ちゃんと知りたい!日本の戦争ハンドブック』青木書店、2006年、176頁

*2:木坂順一郎『昭和の歴史7 太平洋戦争』文庫判 小学館、1989年

*3:森武麿『日本の歴史20 アジア・太平洋戦争集英社、1993年、262頁