読んだ本 高山博『ハード・アカデミズムの時代』

  • 高山博『ハード・アカデミズムの時代』講談社、1998年 230p 002

 西洋中世史を専攻する研究者が、アカデミズムを知の独創・創造を目指す「ハード・アカデミズム」と知の伝承を目指す「ソフト・アカデミズム」とに分けて分析した上で、日本のアカデミズム・大学の変革を提言した一冊。

 本書の構成と表現自体はすんなりと読めるように洗練されている。まずは著者が考える2020年日本の高等教育を取り巻く最悪のシナリオを提示した上で、アメリカでの大学院経験を振り返り、アカデミズムについて論じていく。その上でアカデミズムの独創性、学者と大学教授、知の伝承、大学教育などが取り上げられ、最後に著者の示すプランとそれに基づいた2020年の日本が描写される。

 大学を取り巻く国際化などの変化に関する描写はさほどの古さを感じないし、大学制度についての案もそう突飛なものではなく、むしろ昨今良く耳にする議論とさえ感じられる。
 しかしそれでは、(本書の云う)「知識人」「評論家」の書いたものと何がどう違ってくるのだろう。
 本書は著者自身の体験と過去に関する概説、現状分析とそれに基づく提言から成っているが、かつて或る「大学教授」から全く似たような構成要素で相当独善的な内容を伝達された覚えがあり、こういった構成自体の失敗の可能性をふと想起していた。

 冒頭部のアメリカでの大学院経験に関する部分は、日本ではアメリカの大学院で人文科学を修めた人が余り多くないだけに大学院での学問的に厳しい訓練を具体的に記述する意義は少なくない一方で、意外に個人の経験が語られていない点に若干の不満を覚えた。例えば、結局なぜそういった厳しい訓練に耐えてまで学問研究を、具体的には西洋中世史・中世シチリア王国の研究を志し独創的な研究を目指したのかという個人的な動機や問題意識が全く語られていないので、大学院の授業や国際的な学会誌への投稿に関する実務面中心の説明が目立ってしまい、問題意識や主題設定の動機といった独創に関する個人経験の重要な部分は欠落している。

 また読みやすい反面、注釈や具体的な文献等の紹介が無いのも解せないところだ。それまでの大学やアカデミズムに関する議論や文献を具体的に紹介することについて、一般読者はそういったことに興味が無く専門家には既知の内容ばかりと判断したのかもしれないが、一般読者にとっては著者の背景を知り更にこの主題について問いを深める上で、専門家にとっては著者の主張の妥当性の根拠を知る上で、重要であるはずなのだが。10年以上経ってから読んだこともあって、「ソフト・アカデミズム」の伝承性、「ハード・アカデミズム」の独創性に照らして本書自体の実践はどう評価されるのかしら、と疑問に思わされた形式である。

 それからいささか制度論への提言に傾斜しすぎではないだろうか、例えば本書は高校生に対しては何を伝えるのだろうかとふと考えたりもした。