読んだ本

主人公は訳在って東京のマンションで一人暮らしをしている17歳の高校生。ただし彼は高校生にして将来を有望視されるプロの将棋棋士。そんな彼とこれも訳在って知り合った隣町の三姉妹。物語は主人公の棋士生活と三姉妹たちとの交流を軸に展開されていく。
 
 将棋と棋士とを描いているという点で、この作品は将棋漫画と言って差し支えないだろう。この作品に占める将棋の描写は他の対象で代替可能な程軽くはないからだ。ただし単に将棋漫画と言うのもどうかと思ってしまうのは、最初から何の疑問も無しに、将棋が主題に設定されているのが当たり前であるかのように物語が設定されている訳ではなく、将棋という存在が時には冷やかにと思えるほど問い直されながら物語が進んでいくからだろう。冒頭の主人公が将棋の対局つまりプロとして試合を行う一日の即物的な描写に始まり、第1巻ではなぜ主人公が将棋の世界に歩んだのかという過去が冷徹に描かれることになる。将棋や将棋の上達をその意味が自ら明らかであるかのように単純に描く作品では無いのがこの作品の良さだろうと思う。物語が、主人公が高校生にして既に或る程度の地位を得ているところから始まるのもそういった特色を形作っている。

 そういった点を直接的に描くことになる将棋の話を包み込むように展開していくのが、三姉妹たちとの交流の話。こちらの方はコメディタッチに描かれる部分も多いし絵と活字で紙面が埋め尽くされたように感じる作画とも合っているように思われるが、しかしながら三姉妹たちの側にも重い物語が存在しそのことが時に垣間見えてくることにもなる。

 作画については、上で述べたような特色も在って何となく紙面が黒っぽいという気がする。絵と活字とに加えてフレームや暗転を用いた表現が多いからだろうか。それから時折アニメ的なとでも言えそうな、セルアニメのように背景の中をセルで描かれた人物が動いているような、そんな風に感じられる箇所がいくつか在ったように思う。

 最後に実際の将棋界との異同について若干。千駄ヶ谷将棋会館はそのまま描かれているし日本将棋連盟や『将棋世界』(詰将棋サロンのコーナーも)などはそのままの様子だが、タイトル戦等の名称は変更されている。モデルがはっきりと分かる棋士は余りいない。最大の実力者宗谷冬司は羽生善治二冠を思わせる雰囲気と実績、そして谷川浩司九段を意識したような名前の持ち主だがどこまで作者が実在の棋士を模しているかは明確には分からない。そもそもこの作品が現実の将棋界との異同に強くこだわるのならば、桐山という名前は多分使わないのではないかという気がする。桐山清澄九段という実在の、それも黒縁眼鏡を掛けるベテラン棋士が居るのだから。どちらかと言えば現実の将棋界との異同についての関心がそもそも薄い作品なのではないかと思っている。

 単行本には監修の先崎学八段執筆のコラムが掲載されている。「監修」らしい内容だとは思うけれど、同氏の『フフフの歩』(講談社文庫、2001年)など十代の頃の棋士生活を描いたエッセイを知っていると本編に関連するような、順位戦とかNHK杯戦について或いは酒についてといった話が多かっただけに何となく物足りないという気もしてしまう。

(追記)
 個人的には池波正太郎鬼平犯科帳』シリーズを何となく連想してしまう。河の在る江戸・東京の風景、訳在って其の道に入っていく人々、美味しそうな食べ物。