読んだ本

 伝統ある私立の女子高を舞台に、その学園生活を描いた作品。
 第1巻のあとがきによると、作者が編集者からの「女子高モノ」を「黒髪」の主人公でやってみないかという提案を受けて始まったシリーズだという。その際に作者に示された掲載誌(『OURS』)の愛読者アンケート結果が「黒髪女子すこぶる高し」だったそうで、「長髪」「黒髪」「丸顔」「身長が低い」といった「男性読者の求める共通項のひとつなのかしら!?」と作者の述べるような特色に基づいて容姿が描かれているのがこの作品の主人公ということになる。
 
 鈴蘭女学院という、女学校以来の伝統を有する名門女子高校に憧れていた主人公が受験勉強に励んだ結果晴れて同校に入学するが、入学早々主人公は憧れの女子高に入ることにばかりこだわっていた反面いざ女子高生活を始めるとなると具体的な願望(どの部活に入るか)も将来への展望(将来何をしたいか)も有していないことに気付く。そうした中で、主人公は一見冴えないがのんびりとそして真摯に生徒達と自分自身の夢に向き合っている男性教師を知って彼に惹かれていき、同級生達そして彼との学園生活が展開されていく。

 「女子高生」そのものの姿を描くことに終始しているのではなくいわば「女子高」に視点を定めている点が作品の側面を拡げているのではないかと思う。この特色は「女子高」的なるものを「女子高生」以外の(いくらかの笑いも交えた)視点から提示することにもなる。中学生である主人公の弟は平凡で子供っぽい姉を知り尽くしているがゆえに女子高の(大袈裟に言えば)虚構性を十分意識しているのだが、女子高へ通う姉と自分との関係を彼が考え直していく過程で女子高なるものに接していく。男子校出身でありながら女子高に勤務することになってしまった警備員の視点から女子高は捉えられることにもなるし、かつてこの女子高で学びこの女子高で教えている英語教師の話や、長い歳月を女子高で生きている校長がかつて或る女性と女子高とに出会った頃の話も描かれていく。
 
 その一方でそれぞれ個性を持った主人公の同級生達が恋愛や「交際」や親子関係や結婚といった問題に向き合っていくという(正統的な、とも言えそうな)主題が取り上げられている。これはたまたま第2巻に主人公の周囲の同級生達を掘り下げていく話が多く掲載されていたという事情も在ると言った方が良いのかもしれないけれど。

 …と、ここまで書いてきて思うのは、上述のような事情から設定された主人公の容姿はともかくとして(こういう容姿に設定されていたからこそこの作品を読んでいるという面が在るという点は否定しないが)、その言動が意外に個性的に描かれていることに対しては少し違和感が在るということだ。だからつい主人公を狂言廻し的な存在として捉えてしまう。

 何せ主人公の好きな俳優が×××…。それは確かに自分も×××の出ている作品は何作か観ていて(『×は××××』シリーズとか戦後日本初の×××映画である××××監督の『××××××に××』とか)、自分の好きな女優もその×××と共演したりしているから古い俳優が好きな人のことはとやかく言えないのだが、いくら漫画の中でそれもコメディ風なところでも×××の好きな女子高生が現代に居るという設定(この設定は何かのオマージュなのでしょうか?)、それも此の設定を活用したエピソードまで在るときては*1
 
 そして一見冴えない男性教師に惹かれてしまうという点。確かに黒髪の女子高生の話を読んでみたいとは思うけれども、若々しさに欠ける読者の一人としては主人公が個性的(「物好き」)だと何だか違和感がある訳で…まあもっと有体に言えば「若々しくない男性が好かれている話だから読んでいるのではないか」と邪知されるのではないか、と。まあこう考えてしまう時点で作中の純粋な人物達に比べると駄目な訳ですが。
 でも主人公が本八幡先生*2に見向きもしなかったり若手アイドルが好きでもそれはそれで違和感があるのもまた確かなことで…×××が好きとかそういった設定で作品を描いてしまう辺りはうまいなあと思っています。

*1:以上戦前の検閲済み出版物風に伏せてみたが、こう書くとさも「マルクス・レーニン主義」とか「革命」とか「プロレタリアートの蜂起」とか、或いは「裸体」「全裸」とか何かすごい単語が隠されている風で何ですねえ…。

*2:冴えない男性教師。最初は総武線都営地下鉄新宿線?と一瞬思ってしまった…でも第2巻で彼自身が××××なのが判明したが若々しくない男性らしさとはそういう風にとらえられているものなのだろうか