読んだ本

 途中までは一話読み切り形式の連作短編集の体裁を取っている。終結部の展開に唖然とさせられたのは久しぶりだと思う。そしてどうでも良いことだろうけれども、ミスタードーナツのエンゼルクリームを食べた直後に4巻を読んでギョッとした。星史郎程の登場人物もこれまで読んできた作品の中からはちょっと思い浮かばない。
 普段の派手な言動という側面も在って最初は余り意識していなかったけれども、北都が重要な存在だということを読み終えた今では感じている。彼女を主人公の恋人や幼馴染といった有り得そうな存在ではなく主人公の「双子の姉」と設定した作者の意図のようなものを結末で感じさせられたように思う。作中での時間軸の区切り方といい、連作短編として次々続けていけそうな話をこういう物語に纏める辺りに独自性が在ると言えそうだ。
 何時か、このような作品も「1990年代東京」という歴史を論じる際に取り上げられることになるのだろうか。

(追記)
 東京を描いた作品、という点について。別に東京という都市の風景を描いている訳ではなく、都市としての東京と言うよりもそこに住む人のことを描いているということなのだと思う。東京タワーとサンシャイン60の二カ所は舞台となって具体的に描かれていたし繁華街や郊外と思しき住宅地も出てくることは出てくるのだけれど、基本的に話は住居などの屋内で展開されて東京という都市その物を描いたり登場人物たちが都市の中を動くようなシーンが配されたりするということは余り観られない。むしろ登場人物たちは東京という都市で「排除」あるいは「抑圧」され、都市という場よりも自宅の自室のような他の人々から離れた場所で個人として苦闘している。主人公は悩みを抱える人や生前に苦しんだ霊を助けるのだが、東京という都市その物や都市に住む不特定多数の人々に対する危機(例えばゴジラウルトラマンパトレイバー名探偵コナン等々多くの作品で描かれるような東京の危機)は発生しない。都市と多数の人々の命運を掛けて闘うことで主人公が都市とその大衆を救済するということもない。登場人物たちが如何に苦しもうと、昴流や北都や星史郎がどのように壮絶な物語を展開しようと、都市も大衆も相も変わらずにそこには在る、そのような存在として東京という都市は描かれていたように思う。

(追記の追記)
 同じ作者(作者達、の方が正確でしょうか)の他の作品は未だ一切読まずにあれこれ書いていますのでその点はご容赦下さい。