加藤寛治日記と1929年の美保関滞在について

早いもので1年が過ぎてしまったけれど、DG-Lawさんが松江市美保関の旅館で発見された、加藤寛治の1929年の美保関滞在について
(http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/52299815.html)。

「しかし,加藤寛治ってひょっとして美保関事件の時の滞在なのでは……昭和4年だから違うか。逆に言ってよく泊まりに来たな。」
とはDG-Lawさんの感想で、それを読んだ私も全く同じような感想だった。そもそも私の場合、美保関と聞いても連合艦隊の演習事故しか浮かばなかったし、美保関事件を最初に知った阿川弘之『軍艦長門の生涯』上、新潮文庫、1982年(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN01498398艦隊これくしょんの波に乗ってしれっと復刊しないかな)では、事故時の連合艦隊司令長官である加藤と連合艦隊参謀長だった高橋三吉海軍少将については相当辛辣な書かれようであっただけに、つくづく良く泊まったものだという印象だった。なお高橋も責任を問われるどころか連合艦隊司令長官まで栄達しているのは、多少海軍に詳しい方ならご存知の話だろう。

そしてその記事のブックマークhttp://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dg_law/archives/52299815.html加藤寛治の日記でこの時の記事が見つかるかも…などと書いておいて早1年、繰り返すがいい加減な当方である。

さて加藤の日記が収録されているのは『現代史資料』の続編、伊藤隆他編『続・現代史資料 5 海軍 加藤寛治日記』みすず書房、1994年(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN11217247)であり、当方は以前関東大震災時の記述を読んだことが在ったので、半ばあてずっぽで1929年の記事も収録されているだろうなどと述べたのだが、実際には「震災日誌」の次が「昭和四年」なので、結構収録範囲ぎりぎりであった。

1929年の加藤寛治日記は、1日当たりの記述はごく短い日も多い。例えば加藤が軍事参議官から軍令部長に就任した前後である1月22日の日記でも、

一月二十二日 火 fine 8pm親任式、鈴木〔貫太郎、大将〕侍従長と仝時なり。夕大臣邸にて軍事参議官会。此日昭和六年度までの補充計画に付閣僚連署の覚書を示さる

といった程度(前掲伊藤他編、76頁。〔〕は同書の註)。

加藤が美保関に出発する直前の記事には、「妙高にて軍縮関係者を招待する。大成功。但し財部の演説笑ひ物となる。」という、御存知の海軍軍縮条約を巡る艦隊派対条約派の対立を思わせるような少々おっかない記事もあったりするけれども(同書、83頁)、概して感情を交えない淡々とした記述が続いている印象だ。

なお偶々見かけた、「一月十六日 水 fine」の記事の中で、
国技館に相撲を見る。大番狂はせにて近来なき熱狂。」(同76頁)の部分は、相撲通のDG-Lawさんには誰の取組みか判別可能なのかもしれないけれども、註なしには当方には全く判別不能な部分だった。同日の記事の後半部分には丁寧な註が付いていて、珍田捨巳侍従長が死去してその後任問題が起こり、関連して斎藤実、安保清種、山下源太郎の三大将らの名前が書かれていることが読み取れるのと対称的だった。

さて、美保関滞在を含む8月4日からの加藤の日記を追うと、 

八月四日 日
出雲大社(参拝)を経て美保湾の艦隊に向ふ。
八・四五P発宝塚に向ふ。

八月五日 月
宝塚ホテルに小休す。夕川口来る。小酌す。
一〇・五〇P発夜行、大社に向ふ。

八月六日 火
午前大社参拝。夕松江。皆美館に泊す。高橋市長大に歓迎す。鳥取と島根の紀念塔に一〇〇円宛寄附す。

八月七日 水
午前境と美保関の忠魂碑に参拝。美保関にて歓迎さる。衣笠に乗艦。

八月八日 木
九A出港、5S、4Sの戦技と夜戦を見る。

八月九日 金
未明栗田湾□直舞鶴に行き、一〇・五〇Aの汽車にて亀岡に行き、保津川を下り嵐山「ちどり」に晩餐を為す。一菊(久子)大につとむ。九・五〇P発帰京。財部、安保、竹下〔勇、大将、軍事参議官〕同行。

といった具合であった(同83頁)。

こうして見ると、やはり2年前に自身が強いた過酷な演習による事故については特に言及もなく、美保関での「歓迎」を記している。そして出雲大社と演習からの帰り道に、京都の嵐山で芸者だろうか、宴席を設けてお楽しみだったという、さすがmmkの海軍士官の世界といった感じの記述でいささか毒気を抜かれたというところである。

改めて宿泊場所に着目すると、実は美保関の福間館に加藤が滞在したことが明示された具体的な記述は、見当たらないことが分かる。宝塚のホテルに滞在した後、出発駅は明示していないが8月5日の午後10時50分発の夜行で出雲方面に向かっているのでこの日は車中泊、翌6日は出雲大社参拝の後夕方に松江市に到着し、「皆美館」という松江市のこちらも結構な文化人達が滞在したことのある旅館に宿泊したという記述がある。そうなると8月7日に、美保関の忠魂碑(日露戦争後建立のものだろうか)参拝の後で、「美保関にて歓迎さる」という記述の部分で滞在したのだろうか。

8月7日には既に「衣笠に乗艦」という記述があるので、素直に理解するならば7日は重巡洋艦衣笠の艦内に泊まったとも読めるけれども、翌8月8日の艦隊が午前9時の出発だったという点からすると、一旦衣笠に乗艦した後美保関にて宿泊したか、美保関の旅館には宿泊ではなく訪問時に滞在し休憩したか、のいずれかということになるだろうか。

またはっきりとは判読できないが、どうもDG-Lawさんの撮られた写真だと、加藤寛治の訪問は「昭和四年九月」と書かれているようだけれども、これは昭和四年八月であるべきところだろう。1929年9月には加藤は山陰方面を訪問していないし、1930年9月・1931年9月についても念のため確認したがそのような記述は存在しなかった。なお1930年9月はまさにロンドン海軍軍縮会議を巡る動きが活発な時期であり緊迫した記述も見られている他、1931年9月の後半には満州事変勃発に関連する記事もある。

以上、少なくとも加藤寛治の日記に当たる限り、加藤の1929年8月の美保関訪問は史料上も確かであり、美保関の旅館についても史料上は滞在か宿泊かははっきりしないがこれは宿泊と推測しても良いと思われるけれども、旅館に掲げる以上は9月ではなく8月とした方が良いのではなかろうか、という辺りで、1年も間が空いた割にさしたる考察もないこの小文を終えることとしたい。

『君の名は。』(2016年)の鉄道描写 或いは二度見のすすめ

以前書いた『君の名は。』の記事(http://d.hatena.ne.jp/shigak19/20160904/1472915838)で、推測扱いだった鉄道描写について確認する為に、『君の名は。』のロードショーに再度行ってきた。

結論から言うと1回目で見逃したり推測を誤ったりした点が多々あった訳だが、2回目の方が1回目よりも楽しめた。脚本構成の問題点は既に分かっているし、ハードルをむやみやたらに上げることもないのと、全体像や設定を気にせずに映像を眺める時、この作品のそれぞれのシーンはとても良く出来ていると言えるからだろう。

という訳で、『君の名は。』を楽しみたい人には、2度観に行くことをお勧めする。

…さて、二度目は如何でしたか。
いやー、最後の主人公男が主人公女と上野駅のホームですれ違い、まさに「あけぼの」の発車直前に気付く辺りが良かったですねえ。

…という記述が大嘘だと気付いた方だけ、お読み下さい。警告致しましたので、以下はネタバレありです。


脚本構成がどうにも疑問で、全体の構成で一本筋が通っていればもっと面白い良作だったのは間違いないのにとは正直改めて感じたが、前回その点は色々と書いたので、そちらをご参照頂くということで今回は設定・構成については触れないことにしたい。

全体の設定・構成を度外視すると、細部の脚本つまり個々の台詞にしても、シーンごとの作画にしても、かなり良く、作画と美術は全編かなりの高水準を維持しており、この点だけでも一見の価値があるとは改めて感じた。

個々の台詞や描写もそれぞれ上手く、例えば四葉が普段は「ご・は・ん」で、御神体行きの日だけ「い・く・よ」と三葉を起こしている辺りなどきめが細かく、次のシーンで休日なのになぜ制服を着ているのかと問う伏線にもなっている。瀧が授業中に糸守の記憶を必死に絵に描くシーンは繰り返しがあるのだが、2度目の時周りの生徒たちは疲れてぼーっとした描写になっており、瀧が絵に長時間没頭し続けていることを1カットで表している。

OPの初めに、瀧と三葉が頭一つ背が違う次の絵では同じ背になっており、これなどは2回目で初めて分かる、3年間の時間のずれを細部でしっかりと描いたもので、正直細かさに感心してしまった。

しかし、どうも作中の組紐ではないが、個々の糸の組み方自体はかなり繊細で巧みなのに、肝心の最後の紐の収束が上手くいっていない、糸全体を貫く大きな構図が余りしっかりしていない、このために多くの飾りが飾り止まりに終わってしまっていると改めて感じざるを得なかった。


さていよいよ鉄道描写について振り返っておこう。

まず冒頭部、ラストシーン時の姿の二人が描写されるシーンで、新宿駅と思しきターミナル駅に出入りする列車が描かれるが、ここでは二人が乗車する直接的な描写はない。

次に、三葉が最初に瀧に入れ替わった日、バイト帰りにやや空いた車内に座りながらスマホを操作する図がある。ここで重要なのは、瀧に入った三葉(以下単に三葉)が覗くスマホの中身で、路線情報と思しき画面で新宿駅発代々木駅経由の情報が表示されている。

今回観返して確定した推測として、瀧の最寄り駅は、奥寺先輩との「デート」について待ち合わせ場所を単に「駅前」と三葉が申し送っているがその待ち合わせ場所は四ツ谷駅前であること、またその予定を知らず慌てて出発した瀧が徒歩で四ツ谷駅に向かっていること、瀧が飛騨の糸森に落ちる彗星を屋上から眺める時、新宿の高層ビル群の先に彗星が落下していく、つまり瀧の自宅は新宿より東であること、以上の諸点から四ツ谷駅と断定して差し支えあるまい。終盤で奥寺先輩が久しぶりに瀧を訪ねる時、集合場所に四ツ谷駅を指定し近くまで来たからと言っていることも、瀧の生活圏内に四ツ谷駅が在ることの傍証だろう。

その点から、この夜三葉はバイト先のレストランを出発し、新宿駅から列車に乗って四ツ谷駅まで帰ったと推測される。ただそうすると妙なのは、わざわざ代々木駅で山手線から中央・総武線各駅停車に乗り換えている点である。

これは、新宿駅では同じホームで隣り合っており乗り換えも容易な両線が、代々木駅では別ホームになっており乗り換えに時間の掛かることを、東京生活に慣れていない三葉が知らずに、つい路線図通り代々木駅まで行ってから中央・総武線各駅停車に乗り換えた、とすれば行動自体は別にそう奇怪でもないが、問題は最短経路を表示するはずの路線情報が、なぜわざわざ乗り換え時間のかかる代々木駅経由の経路を提示しているのか、である。

本来路線情報は新宿駅-四ツ谷駅間の直通経路である中央線快速電車か、時間的にちょうど良い快速がないのならば最初から新宿駅で各駅停車に乗ることを提示していなければおかしいはずである。瀧の自宅が四ツ谷に在り、新宿方面から四ツ谷に帰宅することと、三葉が東京の鉄道事情に疎いことの両方を描写する為にわざわざ路線情報のカットを入れたと思われるが、路線情報が不正確という、鉄道の観点からは中途半端な描写になったようだ。

次に新幹線の描写は、これは前回書いた疑問そのままで、東京発名古屋行の下り東海道新幹線では3人掛けシートは進行方向左側つまり太平洋側に在り、陸側の進行方向右側に2人掛けシートが在り、というのが実際なので、作中では進行方向右側に3人掛けシートがあるのは逆である。

同様に、名古屋発に乗ったと思しき三葉の上京時、進行方向右側が2人掛けシートらしき(こちらは直接は描写されていないが)構図なのも実際とは逆であろう。

三葉は上京後、駅のベンチでくたくたになっている所を、入線してきた総武線各駅停車に瀧が乗っているところに出会い乗り込むが、この駅は柱の「よよぎ」から代々木駅で確定であり、実際に代々木駅中央・総武線各駅停車の千葉方面行きホームと同じく薄い壁がある。

さてその後三葉は瀧に話しかけるも3年間のズレの為怪訝な顔をされ、いたたまれずに列車を降り別れるのだけれども、このシーンでの問題は、瀧と三葉が別れるのは列車の入線するシーンから四ツ谷駅だと明示されており、なぜか三葉は降りるのに最寄り駅の瀧が降りない点であろう。本来ならば四ツ谷の手前、代々木より後の千駄ヶ谷信濃町でならば三葉のみが降りても不自然ではなかったのに、なぜ瀧は最寄り駅で降りていないのか、納得のいかないシーンで、恐らく入線するカットを四ツ谷駅としてしまったことに無理があったのではないか。


観返すと代々木駅は良く登場する割に、疑問点も残る描写が多い。

1番線 片側が壁 山手線外回り 新宿・池袋方面行き

2番線 3番線とに挟まれた共有の島式ホーム 山手線内回り 渋谷・品川方面行き

3番線 2番線とに挟まれた共有の島式ホーム 中央・総武線各駅停車 新宿・中野方面行き

4番線 片側が壁で、1番線と対になっている 中央・総武線各駅停車 千葉方面行き

三葉の表示した路線情報が、仮に山手線から各駅停車への乗り換えだとすると、なぜわざわざ2番線に着く山手線から、一度階段を上り下りして4番線に出ないと行けない代々木駅での乗り換えを提示していたのかは既に述べた。

就活中の瀧が、明らかにがらがらの平日昼間の総武線各駅停車に乗っていて、三葉らしき後姿をホームに認めて代々木駅で降りる。この描写、駅の構造はあっていて瀧は2・3番線の島式ホームと壁で囲まれたホームのどちらかを見渡しているが、問題は四ツ谷方面からだったのか、新宿方面からの入線だったのか、という点である。このシーン、直前にやはり新宿駅らしき描写が入っていたので新宿駅発代々木駅着という構図かと思いきや、瀧は明らかに2・3番線ホームに降り立っているので、それでは本来前述の三葉が座っていた4番線に入線しないと話がかみ合わなくなる。従って、新宿駅らしき描写は無視して、四ツ谷駅方面からやってきた瀧が2番線に降り立ち、2・3・4番線を見渡す、とすると辻褄は合う。

そもそも新宿からにせよ四ツ谷からにせよ、なぜ瀧が快速ではなく各駅停車に乗っているのかという疑問も出せなくはないけれど、まあ就職活動で気が滅入ってのんびりと各駅に乗りたくなったとしても不思議はあるまい。

ラスト、新宿駅らしき風景、湘南新宿ラインらしき列車がまた見えるが、結局冒頭部と同じで、これは新宿駅から三葉と瀧が乗車した、という直接的な描写ではない、と理解する他ない。

前回当方はこの描写から、二人は共に新宿駅発と推測して、代々木駅南方で山手線と総武線各駅停車が並走したと書いたけれども、観返すと三葉は千駄ヶ谷駅総武線各駅停車を降りたのは間違いないが、どうも瀧は新宿駅南口で降りたようなのと、並走シーン自体で思ったより双方の車体が離れず、また双方の車体が何線かは不明であった。

よって、四ツ谷駅を出る中央線快速に瀧が、総武線各駅停車に三葉が乗っていて、千駄ヶ谷駅新宿駅から共に歩き回って奇跡的に再会するという、更に広範囲での奇跡だった、ということになるのだろうか。

結局、湘南新宿ラインも含めた新宿駅らしき風景が、瀧と三葉の乗車経路自体と関わるのか不明瞭なのが難点で、新宿駅なのに京浜東北線らしき車体が描写されていたり、瀧の最寄り駅が四ツ谷駅なのは確定的なのを見ると(四ツ谷駅からと新宿駅からでは進行方向は当然逆になる)、鉄道の経路的な正確さを余り意識した描写でもなく、二人の行動とも別個の風景として新宿駅が点描されていた、という推測が妥当なようだ。

もともと新海誠自身が、鉄道ファン的な鉄道好きではなく、単に風景として鉄道が好きと語っているように、『君の名は。』の鉄道描写も、新宿駅から四ツ谷駅辺りを舞台としながらも、必ずしも地理的に正確ではないし、新宿駅の風景にしても、全ての列車が同じタイミングで全て動いている辺りは、場面の尺の都合もあるにしても、実際には入線済みで停車中の車体があったり、少しずれて重なったりするのが自然なところで、余りリアリティを追求していない感じである。これは風景描写にも反映されていて、新宿に統一されているかと思いきや、今回初めて厚木行きの標識と背後にあおい書店があるのはどうも渋谷らしいというカットがあったりしたのにも気付いた。

Z会の「クロスロード」以来、中央・総武線各駅停車と、それから中央・総武線の並走する御茶ノ水駅なり四ツ谷駅なりに風景として監督のこだわりがあるというところだろうか。

アニメ映画の鉄道描写として、当方が一番好きなのは高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』で、最後に主人公がローカル線を降りて戻っていくラストシーンも良いけれど、何といっても寝台特急あけぼのの描写が圧巻で、薄暗い上野駅への入線シーンといい、山形駅に到着する時のシルエットの描写といい、いかにもマニア的だった。

鉄道描写に限らず、『おもひでぽろぽろ』は都市と農村部の対比といい、色々と比較できそうなのに案外『君の名は。』談義では参照されないものだなあとも。

ところで「古川図書館」として飛騨市図書館らしき図書館の描写が在り、なかなか綺麗な館内の様子はともかく、どうも作中では在住でも通学・通勤でなくても利用者登録をして雑誌まで含めた資料を借り出している辺り、現実より一段サービスが進んでいる様子。また終盤で就職活動中の瀧が都内の中央館クラスと思しき館で資料を読むシーンもあったけれど、あちらにはどこかモデルがあるのだろうか。

三度日本将棋連盟と不正疑惑について

前回以降の動きとしては、(1)渡辺明二冠による『週刊文春』のインタビュー等により、渡辺二冠が告発者の一人であることが明かされると共に、日本将棋連盟常務会は羽生善治三冠、佐藤天彦名人、棋士会長の佐藤康光九段らを集めた会合を開き疑惑について検討を行っていたことが明らかになった。

(2)三浦弘行九段は改めて不正行為を否定し連盟側に反論する文書を公表、PCの提出等の調査に応じる準備があると表明した。

(3)一般棋士向けの説明会が開催され、竜王戦挑戦者決定戦3番勝負で敗れ、三浦九段の出場停止に伴い挑戦者となった丸山忠久九段は、挑戦者決定戦で不正行為の疑義を感じることがなく連盟の決定に疑問をもっている旨を表明した。

(4)羽生三冠は(1)の会合に出席し、週刊誌では限りなくクロに近い灰色という趣旨の発言が報じられたが、ツイッターでは妻の羽生理恵が完全にクロであることを証明することが難しいこと、クロと証明できない場合は疑わしきは罰せずが原則であるという認識であること、を羽生本人の認識として表明した。

(5)連盟理事会は、但木敬一検事総長を委員長とする調査委員会を設置。今後改めて疑惑について検証することを表明。

この一件については、続報があるごとに当方の予想を上回る事態が明らかになって、何とも憂鬱で閉口している。

まず(1)については、渡辺二冠の告発までは正当と思われるが、その後の連盟常務会の対応は、構成員以外を参画させるという中立的な処分者としての役割に反するものであり、大いに疑問である。特に渡辺二冠の他、羽生三冠や佐藤名人を検討に加えたことは、最悪の場合タイトル保持者の責任問題に発展する可能性さえあり、余りにも迂闊と言わざるを得ず、少なくとも長くトップ棋士としてタイトル戦を戦ってきた谷川浩司会長は、運営にトップ棋士を参画させて対局以外の対立含みの事件に巻き込ませることの問題性を理解していた筈であるのに、理事会・常務会の対応はこの点だけでも大いに批判されるべきであろう。

また順位戦に限ってみても、佐藤九段は同じA級順位戦の競争相手であり、判断の中立性という点が問題になるので、せめて順位戦に限定しても同一クラスの競争相手は省く、という程度の配慮は求められて然るべきではないだろうか。

トップ棋士も含めた会合で、棋士の多くが三浦九段の不正行為の疑いに賛同した、という点は疑惑の度合いを深めるものではあるかもしれないが、不正行為の立証には何ら寄与しない、という点に注意する必要がある。

プロ野球八百長の認定は、試合中のプレーそれ自体からではなく、暴力団八百長関係者の接触の立証によって行われるのであり、陸上競技等のドーピングの判定も走り自体では立証が為されずに、不正薬品反応の有無による。いわば、不正行為の立証は一般人でも共有・判断可能な、プレーそれ自体の外側の明白な証拠による。

どうも連盟の対応にしても、一部ネット上での三浦九段の不正行為を断言する論調にしても、プロ棋士の多くが指し手に疑問であるという、指し手自体に不正行為の立証を求める傾向が見られており、この路線に固執するようでは不正行為の決定的な立証は難しいと言わざるを得ない。

結局第三者の調査委員会に調査が委ねられることになったが、これは連盟常務会単独での不正行為立証が不可能な場合は告発受理後最初の処分までに行うべきことであって、もはや手順前後と言う他はない。

結局この件については、何月何日のどの対局において電子機器を用いて自身のものではない指し手が着手されたのか、それともそのような行為は無かったのか、という点についてはっきりと結論が下されなければならないが、いずれの結論が出るにしてもこの一件は将棋界にとっての汚点である。仮に不正行為が存在した場合はともかく、不正行為が存在しなかったのにタイトル戦と、そして棋士人生に成績が一生反映されるA級順位戦とを不出場とした重い処分を下した場合は、連盟自らが汚点を作ったと言わざるを得ない。

渡辺二冠の告発自体は決して責められるべきではないものの、二冠の告発は結果として余りにも竜王戦を重視し過ぎたのではないだろうか。竜王戦開催中の疑惑発覚を恐れたのかもしれないが、あくまでも竜王戦の挑戦者決定までの過程での不正行為の認定を重視した方が良かったのであり、連盟常務会も不正行為の認定を行わない内での処分を行わなければこうした状況には陥っていなかったはずだ。

今回の一件への連盟の対応を、玉虫色の解決策として支持すると言明した人もネット上ではちらほら見かけられるが、もはや灰色の人物をタイトル戦の舞台から引きずり降ろした利点よりも、この数週間の連盟の白黒のはっきりしない迷走ぶりが広く知られた損害の方が大きいのを無視していると思う。公平な条件の下での対等な存在としての人間同士による勝負に意義を見出している将棋ファンを、公平性の点でかえって失望させているし、仮に連盟や渡辺二冠が、灰色のままでの三浦九段不在の竜王戦に満足しているとすれば、竜王戦の勝負以上に連盟が勝負に対してどれだけの重みを見出しているかという点により注目が集まってしまっていることを認識する必要があるだろう。

日本将棋連盟の不正疑惑への対応と棋士処分について

三浦弘行九段に対する処分と疑惑の公表から2日経ったが、事態は終息に向かうどころかなお混迷の度合いを増しているようにさえ見える。

橋本崇載八段はツイッターで、ソフト使用の不正、ソフト指しがあったと断言したものの、やはり決定的な証拠が提示された訳ではなく、これは単に騒ぎを大きくする火に油、幕間狂言といった感がある。

日本将棋連盟、特に常務会の構成員たる理事たちの対応が最重要であることは既に前回書いた通りだが、報じられている追加の報道に接すると、期待した対応と真逆の言動が目立つのはなお残念である。

前回の記事以降の新たな報道内容としては、

  • 三浦九段の不自然な離席、ソフト使用・ソフト指しについて、疑義は複数の棋士から提示された
  • 常務会による三浦九段への聴取には、渡辺明二冠も同席した
  • 常務理事の島朗九段による13日の会見では、聴取の根拠として離席以外の要素もあったことが述べられた一方で、理事会は三浦九段に対して更なる聴取、処分を行うことを考慮しておらず、三浦九段の復帰後の対局で「範を示す」ことへの期待を述べた

といった点が主な事項として挙げられるだろうか。

まず1点目、疑義が複数の棋士から寄せられたという点は、疑惑の大きさを広げはしたものの、不正行為の立証には相変わず寄与していない。

2点目、三浦九段への聴取への渡辺二冠の同席について、報道では単に同席した事実が報じられているだけなので、現時点では推測も交えての論評になるけれど、これは理事会の対応としては疑問符である。

渡辺二冠については、今回の疑惑に関する疑義の告発者の一人ではないかという推測が示されていたが、新聞報道での処分は止むを得ないというコメントに加えて聴取に同席したことで、その可能性はかなり高いことがはっきりしてきた。

渡辺二冠は10月3日にA級順位戦で三浦九段に敗れたばかりで、竜王戦で三浦九段の挑戦を受ける予定だったので、疑義の告発者となること自体は理解できるのだが、問題は理事会が常務会の構成員でもない渡辺二冠を三浦九段への聴取に同席させたことの是非である。

不正行為の調査で、告発者と被告発者に敢えて直接対話の場を与えるという方法は有り得るにしても、調査と決定を下す側、この場合常務会は両者それぞれから意見を聴取する必要があるだろう。少なくとも、被告発者の意見陳述の場が告発者込みの場しかなかったとしたら、聴取・調査の公平性に関して疑問が残る。

さすがに渡辺二冠抜きで聴取する機会も理事会は設けていたことを期待したいが、渡辺二冠の同席という報道に接して、理事会は当事者である告発者・被告発者それぞれから独立した、中立公平の立場で判断を下す権限を独占する立場にあるということに、どれだけ自覚的なのかという点には率直に言って不安を感じざるを得なかったところである。

まさか常務会が意思決定にも渡辺二冠を加えるという一方的な欠席裁判を行ったとは考えないが、渡辺二冠が三浦九段の説明に納得出来たか否かを大きな判断要素にした可能性はあるのではないか。

前回の記事にも書いたが、棋士が相手棋士の不正行為で敗退したと感じたことを理由に疑義を申し立てること自体は自由であるし、当事者として被告発者の説明で納得できないと主張することも、それこそ橋本八段なみに感情的な意見を表明することも否定は出来ないが、告発者自身は不正行為の立証と処分の決定に加われないという点は言うまでもない。

今回の事例では、当然理事会が告発者と被告発者双方からの聴取に基づいて立証と処分の決定を行う権限と義務とを有する訳だし、その辺りについては西尾明六段もチェスの事例を紹介しながら告発者と被告発者双方のバランスに言及しているけれど、現状では理事会は三浦九段の説明では疑義について納得できないと、何だかまるで告発者の側にいるかのような、あるいは告発者側に判断を委ねているかのような姿勢ではなかろうか。渡辺二冠がそういった見解を示しても何ら差し支えないが、理事会には渡辺二冠とは違った責任があるはずである。

既に渡辺二冠同席の点だけでもかなり書いていることだが、理事会は責任を以て結論を示して決定を下し、不正行為の立証→処分か、不正行為の否定→疑義の却下かを下さなければならない。ところが理事会は休場届を巡る3か月の出場停止処分を唯一の決定とするつもりの如く、追加聴取は行わない、結論の提示はない、という島九段の追加会見であるのだから、当方は理事会の見解と姿勢にさすがに呆然とした。

理事会に多少同情的な要素として、竜王戦七番勝負の挑戦者が三浦九段であり、竜王が渡辺二冠であることから、竜王戦七番勝負の前に決着を図る必要が在ったという点は挙げられる。

しかしそれでも、理事会は不正行為の認定か、疑義の却下かの結論を出さなければならなかったし、それを行うための時間は、竜王戦の挑戦者決定戦や七番勝負の延期でも、徹夜続きの議論でもいかなる方法でも作り出さなければならなかったと考えるし、結論が出なかかったのならば不正行為の立証の失敗を認めて疑義を却下すべきだったのではないか。

現状の、そして今後理事会が取ろうとしている、疑惑を灰色のまま公表・放置して、一時的に被告発者を出場停止としてタイトル戦に出場させないことでタイトル戦を実施する、という措置は短期的には一見現実的あるいは穏健な手に見えるのかもしれないが、長期的にはこれぐらい説明の尽かない結着もないと考えざるを得ない。

まず将棋界以外に対する影響という点では最悪である。不正行為を行った棋士が特定されて、連盟から処分されるのならば一部は真っ黒にしても残りの部分の白が確保されるが、灰色の疑惑では特定の棋士に限らず連盟の調査・処分も疑問視され、将棋界の評価の低下は避けられない。

部外者としてやや極論めいているのかもしれないが、この灰色の疑惑を消して白か黒かをはっきりさせる為だったら、連盟理事会は竜王戦の延期ないしは中止ぐらい決断したって、読売新聞社等への金銭面等で一時的に厳しい状況に陥ったとしても、安い投資だったとさえ思えるぐらいである。1回のタイトル戦の実施、七大タイトル戦最大の棋戦の存続をも上回る損失につながる、将棋界とプロ棋士の全体の信頼に関わる程疑惑は大きいのではないか。


そして不正行為が全く無かった場合、灰色扱いして公表することは被告発棋士に対する決定的な加害であり、原則的には黒と立証できない場合は白扱いする必要がある。

こう書くとそんな刑事裁判並に厳格な、という感想もあるようだが、少なくとも連盟理事会は今回の不正行為の立証で黒の立証を行うことの困難性は百も承知だったはずである。それは疑惑と前後して、スマホの所持自体と金属探知検査に関するルールを導入している点で、このルール制定前に客観的証拠で処分を行うことの難しさを逆説的に示している。

ウェブ上の議論で、連盟理事会のこれまでの不正行為対策が不十分だったことが自ら首をしめたと評される理由もその点にあると言える。スマホの所持と使用あるいは一定時間以上の離席等について制限するか禁止するルールを制定していれば、今回の疑義はスマホの所持の有無で立証可能だったし、一定時間以上の離席の時点で時間切れ負けと同様にある程度は機械的に不正行為の要素を排除出来たのは確かである。

ルール制定直前とはいえ、タイトル戦挑戦者に対する灰色を放置するのはどうかという議論に対しては、一度灰色を黒としてしまうことは今後に禍根を残しルール自体の崩壊につながりかねないという問題の方が大きいと言わざるを得ない。今後、客観的証拠抜きに棋士が処分される可能性を排除するという点で、現行ルールでの立証が困難だったら疑義を却下し新ルール下で経過観察としても良かったのではないか。

くどうようだが、灰色を白扱いすることよりも、黒か白を灰色扱いにとどめることの方が、大いに問題を有している。将棋は誰がどんな手を指したかということが盤上に明示され、棋譜が絶対的に残るものであり、将棋の偉大さも矮小さも興奮も苦悩もそこ抜きには成立しえまい。仮に自身の名前の入った棋譜にソフトの手をそのまま入れるなどという行為があったとしたら論外であり、将棋の棋譜の絶対性を自ら損なう行為であって即除名して差し支えないだけの棋士としての大罪と当方などは考える。

ところが将棋を制度的に保障することを目的とする連盟が、そのような大罪を処分できない、あるいは無実の棋士にそのような大罪の疑惑だけを押し付けて事足れりとするのは、余りにも棋譜に残る一手の真実性に対して無頓着な、将棋に対する冒とくではないのだろうか。将棋ソフトの台頭や不正行為の有無以上に、一体棋士達が将棋の根幹をどのように考えているのかが今回の一件を観るに思いの外はっきりしない、という点にこそプロ将棋の危機を感じざるを得ない。

将棋の一手が全て真に棋士によって指された、と述べられないまでも、たとえその点で不正の事例があったとしてもそれを批判しその他の事例の真正を保障する、あるいは疑惑の事例があったとしてもその黒白をはっきりさせようとすることには価値があるだろう。

たとえ一度タイトル戦が中止になろうが、主催者を怒らせて棋戦が1つ潰れようが、団体が1つ分裂・解散しようが、それでも棋士たちには棋譜の一手の真実性にこそ徹底的にこだわって欲しい、と感じるのは一ファンの勝手な願望に過ぎないのだろうか。

竜王戦挑戦者出場停止事件

10月12日夕刻、まず三浦弘行九段の12月末までの出場停止処分と丸山忠久九段が代わって挑戦者として竜王戦に出場する旨の第一報の記事が発信され、同日夜間には日本将棋連盟常務理事の島朗九段による会見での説明が詳報された。

 報道されている範囲で島常務理事の会見内容を概観すると、

  • 今年夏以降の三浦九段の対局時の行動にスマホの不正使用についての疑義があり、理事会で三浦九段に対する聴取が行われた。
  • その際三浦九段は不正を否定すると共に、疑惑をもたれたまま対局することは出来ないとして休場を表明した。
  • その翌日を休場届の提出期限としていたが提出が為されなかったことから、理事会は三浦九段を12月31日までの出場停止処分とした。
  • 三浦九段が挑戦者となっていた今月からの竜王戦七番勝負には、三浦九段に挑戦者決定戦3番勝負で敗れた丸山九段を代わりに出場させることを決定、主催紙の読売新聞社にも了承を得た。
  • 不正使用に関する疑義については、竜王戦挑戦者決定トーナメントの際の対局者から提示され、今年夏以降の不自然な離席やソフトの指し手との一致率から判断した。三浦九段からは別室で休んでいただけであるとの反論が在ったが、理事会としては疑義に関し十分な説明が為されていないと判断した。

といった内容が骨子のようだ。

現時点では、日本将棋連盟理事会の説明と対応は不十分であると言わざるを得ない。まず理事会は、三浦九段が疑義に対し納得のいく説明を行わなかったと判断したことは表明しているが、不正を行ったか否かについて事実認定を行っていない。

仮に不正を行ったとする事実が立証されたのならば、当然当該対局は三浦九段の敗退とし、除名等の処分が速やかに提起されなければ、プロ将棋自体に対する信頼が失墜する。

ところが現時点で、理事会側は三浦九段を灰色扱いはしているものの、客観的な根拠を提示した不正行為の立証を行えていない。不正行為の立証が出来ずに結着した場合は、当然三浦九段に対して謝罪した上で何らの処分も行わず通常通り対局させる必要がある。

しかし現状では、調査が完了したとは言えず、理事会側の認識に対して三浦九段は疑惑を否定する見解を表明している。この段階で、休場届の提出という点を理由に3か月の出場停止処分とするのは、事実がいかなる場合であっても、不十分な対応であり、ウェブ上でささやかれる竜王戦七番勝負前に三浦九段の出場を取りやめさせること自体が当面の目的だったという憶測が生じる原因となっている。

もし理事会が真に真相究明による信頼回復を意図しているのならば、まずは調査を徹底し、客観的根拠に基づいて不正行為を立証するべきであろう。その際、対局相手の棋士からの疑義等の情報も開示して、公正な検証・追及を行ったことを示す必要がある。

対局者は、対局相手の不正による敗退を容認しないという点で、当然理事会に対し疑義を申し立てる権利を有しているので、疑義が余程妥当性を欠くものでない限り、外部がとやかく批判すべきではないだろう。ただその疑義と、理事会が疑義を取り上げ追及する根拠とは客観性を有することが説明されない限り、恣意的な疑義の取り上げ方で棋士生命を左右する疑惑が公表される恐れを排除できず、現に一部の棋士からも理事会の対応を疑問視する意見が表明されている。

2005年の銀河戦で、加藤一二三九段が勝利した後に、着手を変更する「待った」を行ったと理事会から認定され、反則負けに変更されて出場停止処分を受けた事例もある。しかしこういった事後の処分には繰り返しになるが納得のいく根拠と説明が必要であるし、不正行為が立証できなかった時点で当然疑義を受けた者に謝罪をした上で、不正行為の無かったことと勝敗結果を改めて確定する必要がある。

最終的に、理事会は竜王戦本戦の対局で不正行為が存在したか、存在せず結果が有効であったかを立証する必要があるだろう。

そして今回の件でもう1点考慮する必要があるのは、スマホの持ち込み・使用自体を禁止するルールの制定前の行為であったという点だろう。仮に三浦九段が、別室でスマホを操作していたとする事実があったとしても、将棋ソフト等の利用が立証されない限りは、単に別件でスマホを操作していても即不正と見なすことは出来ないのだ。理事会側で、指し手に直接関わるスマホ操作の立証が果たして為されるかどうか。


以上、本件についてはまずは理事会側の更なる説明か調査が求められるが、いかなる展開となるにせよ、A級棋士を理事会が不十分な証拠で追及し出場停止に追い込んだか、A級棋士によるスマホを用いた不正行為が為されたかの、重大な事実を伴う可能性がある。

これはタイトル戦の対局が行われないという事態となり、棋士の出場停止処分や連盟の分裂まで取り沙汰された1952年の陣屋事件をも上回る、数十年に一度の将棋界における大事件である。今後の理事会の対応によっては連盟会長の谷川浩司九段、専務理事の青野照市九段の責任問題どころか連盟の存亡自体が問われることも有り得るし、最悪の場合にはプロ将棋の根幹に対する信頼自体が崩壊しかねない。

筆者個人は不正行為が立証されずに、理事会側が三浦九段への処分を取り消し、疑義を招く行為と理事会への説明については改めて注意が為されるといった最も穏やかな展開を望むものではあるけれども、全ては盤上での棋士による指し手が全てであるという、実力制名人導入以来のプロ将棋の存在自体が問われている事態であることを念頭に置いた、日本将棋連盟理事会の慎重な対応を改めて望みつつ、不確かな点の多い現時点でのこの憂鬱な一文を終えることとしたい。

第3期積読本順位戦

単なる積読本を何となく並べて、将棋の順位戦風にしてみただけのリスト。


A級 挑戦1冊、降級2冊(前期のみA級10人化の為降級1)

挑戦中 村井吉敬『エビと日本人』岩波新書新赤版

1 前川恒雄『移動図書館ひまわり号』夏葉社

2 桜井英治『贈与の歴史学中公新書

3 荻原魚雷『閑な読書人』晶文社

4 阿部謹也『北の街にて』講談社

5 齋藤純一『政治と複数性』岩波書店

6 丸山眞男『自己内対話』みすず書房

7 『丸山眞男集』第3巻 岩波書店

8 市村弘正『小さなものの諸形態』平凡社ライブラリー

9 保立道久『ブックガイドシリーズ基本の30冊 日本史学』人文書院

10 鹿野政直『近代日本の民間学岩波新書黄版

B級1組 昇級2冊、降級2冊(今回のみ降級1)

1 岡崎武志『貧乏は幸せのはじまり』ちくま文庫

2 吉沢南『個と共同性』東京大学出版会

3 岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書

4 米澤嘉博『戦後少女マンガ史』ちくま文庫 

5 ガイリンガー『ブラームス』芸術現代社

6 家永三郎『太平洋戦争』岩波現代文庫

7 加藤周一『高原好日』ちくま文庫

8 遅塚忠躬『史学概論』東京大学出版会

9 黒羽清隆『十五年戦争史序説』三省堂

10 猪谷千香『つながる図書館』ちくま新書

11 『市民の図書館』増補版 日本図書館協会

12 プラトン『国家』上 岩波文庫

13 『岩波講座日本歴史 近代3』岩波書店   


B級2組 昇級2冊、降級点7冊 降級点2回で降級

1 網野善彦『蒙古襲来』上 小学館ライブラリー

2 棚橋光男『王朝の社会』小学館ライブラリー

3 『「慰安婦」問題を/から考える』岩波書店

4 丸山眞男『現代政治の思想と行動』未来社

5 竹宮恵子風と木の詩』1 白泉社文庫

6 米澤嘉博『戦後SFマンガ史』ちくま文庫

7 柴田三千雄『近代世界と民衆運動』岩波書店

8 吉見義明『焼跡からのデモクラシー』上 岩波現代選書

9 荒川章二『軍隊と地域』青木書店

10 『加藤周一セレクション』5 平凡社ライブラリー

11 藤田省三久野収鶴見俊輔『戦後日本の思想』岩波現代文庫

12 勝俣鎮夫『一揆岩波新書黄版

13 ルービン『図書館情報学概論』東京大学出版会

14 近藤成一『シリーズ日本中世史2 鎌倉幕府と朝廷』岩波新書新赤版

15 萩尾望都トーマの心臓小学館文庫

16 大島弓子『夏の終わりのト短調白泉社文庫

17 逸村裕・竹内比呂也編『変わりゆく大学図書館勁草書房

18 森政稔『変貌する民主主義』ちくま新書

19 大谷正『日清戦争中公新書

20 上野英信『追われゆく坑夫たち』岩波新書青版

21 『長谷川如是閑評論集』岩波文庫

22 安丸良夫出口なお』朝日選書

23 竹宮恵子風と木の詩』2 白泉社文庫

24 藤井譲治『シリーズ日本近世史1 戦国乱世から太平の世へ』岩波新書新赤版

25 竹宮恵子風と木の詩』3 白泉社文庫

26 ※大島弓子『バナナブレッドのプディング白泉社文庫

27 ※木畑洋一『二〇世紀の歴史』岩波新書新赤版

28 ※『池田理代子短篇集』1 中公文庫コミック版

29 ※藤井忠俊『国防婦人会』岩波新書黄版

30 千野栄一プラハの古本屋』大修館書店

31 渡辺京二北一輝ちくま学芸文庫

32 ※近藤ようこ『水鏡綺譚』ちくま文庫   

33 ※『中井正一評論集』岩波文庫

34 ※柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫

35 ※長尾真『電子図書館』新装版 岩波書店 


C級1組 昇級2冊、降級点7冊 降級点2回で降級

1 川崎良孝『図書館の歴史 アメリカ篇』日本図書館協会

2 鹿野政直『歴史のなかの個性たち』有斐閣

3 『世界の文学新集17 戦争と平和1』中央公論社

4 ※池内敏『竹島中公新書

5 上野修スピノザ『神学政治論』を読む』ちくま学芸文庫

6 前田愛『都市空間のなかの文学』ちくま学芸文庫

7 ハシェク兵士シュベイクの冒険』1 岩波文庫

8 石母田正『歴史と民族の発見』東京大学出版会

9 吉澤南『ベトナム戦争 民衆にとっての戦場』吉川弘文館

10 戸坂潤『日本イデオロギー論』岩波文庫

11 マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』岩波文庫

12 マーティン・ジェイ『マルクス主義と全体性』国文社

13 山内志朗『普遍論争』平凡社ライブラリー

14 佐藤進一『古文書学入門』新版 法政大学出版局

15 福永武彦『忘却の河』新潮文庫

16 中勘助銀の匙岩波文庫

17 ※宮内泰介・藤林泰『かつお節と日本人』岩波新書新赤版

18 高見順『敗戦日記』文春文庫

19 『日本残酷物語』1 平凡社ライブラリー

20 ※小川徹ほか編『公共図書館サービス・運動の歴史』1 日本図書館協会

21 庄野潤三夕べの雲講談社文芸文庫

22 大岡昇平ミンドロ島ふたたび』中公文庫

23 安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』青木書店

24 二宮宏之『マルク・ブロックを読む』岩波書店

25 小田実『「難死」の思想』岩波現代文庫

26 芝健介『武装SS』講談社選書メチエ

27 本田和子『異文化としての子ども』ちくま学芸文庫

28 ※内田義彦『社会認識の歩み』岩波新書青版

29 森武麿『集英社版日本の歴史 アジア・太平洋戦争集英社

30 鹿野政直『日本の近代思想』岩波新書新赤版

31 古関彰一『日本国憲法の誕生』岩波現代文庫

32 松本清張『或る「小倉日記」伝』新潮文庫

33 良知力『マルクスと批判者群像』平凡社ライブラリー

34 ※大塚久雄『社会科学の方法』岩波新書青版

35 ※フィッツジェラルドマイ・ロスト・シティー』中公文庫

36 ※植村邦彦『市民社会とは何か』平凡社新書

37 ※広田照幸『ヒューマニティーズ教育学』岩波書店


C級2組 昇級3冊、降級点10冊 降級点3回で降級

1 サラ・パレツキー『サマー・タイム・ブルース』ハヤカワ・ミステリ文庫

2 辻邦生『背教者ユリアヌス』上 中公文庫

3 橋川文三ナショナリズムちくま学芸文庫

4 江口圭一『十五年戦争研究史論』校倉書房

5 永原慶二『日本の歴史10 下剋上の時代』中公文庫

6 永原慶二『新・木綿以前のこと』中公新書

7 牧原憲夫『客分と国民のあいだ』吉川弘文館

8 牧原憲夫『シリーズ日本近現代史2 民権と憲法岩波新書新赤版

9 原田敬一『シリーズ日本近現代史3 日清・日露戦争岩波新書新赤版

10 清水透『エル・チチョンの怒り』東京大学出版会

11 宮地正人『日露戦後政治史の研究』東京大学出版会

12 吉澤誠一郎『シリーズ中国近現代史1 清朝と近代世界』岩波新書新赤版

13 ベッケール・クルマイヒ『仏独通史 第一次世界大戦』上 岩波書店

14 鶴見俊輔久野収現代日本の思想』岩波新書青版

15 杉原達『中国人強制連行』岩波新書新赤版

16 野呂栄太郎『日本資本主義発達史』岩波文庫

17 加瀬和俊『集団就職の時代』青木書店

18 杉原達『越境する民 近代大阪の朝鮮人史研究』新幹社

19 ダール『ポリアーキー三一書房

20 永原陽子『「植民地責任」論』青木書店

21 四方田犬彦『漫画原論』ちくま学芸文庫

22 青木正美『古本屋五十年』ちくま文庫

23 黒田日出男『増補 絵画史料で歴史を読む』ちくま学芸文庫

24 カレル・チャペック『ロボット』岩波文庫

25 ※小田実『何でも見てやろう』講談社文庫

26 佐藤忠男長谷川伸論』岩波現代文庫

27 吉田裕『現代歴史学と戦争責任』青木書店

28 高橋昌明『増補改訂 清盛以前』平凡社ライブラリー

29 小山力也『古本屋・ツアー・イン・ジャパン』原書房

30 澄田喜広『古本屋になろう!』青弓社

31 村井章介『中世倭人伝』岩波新書新赤版 

32 安田浩『近代天皇制国家の歴史的位置』大月書店

33 宮崎駿『本へのとびら』岩波新書新赤版

34 宮地正人『国際政治下の近代日本』山川出版社 

35 増田四郎『都市』筑摩書房 

36 ジョン・ロック『完訳 統治二論』岩波文庫

37 ※木村靖二『第一次世界大戦ちくま新書

38 ※鶴見俊輔『限界芸術論』勁草書房

39 ※『竹宮惠子SF短篇集2 オルフェの遺言』中公文庫コミック版

40 ※四方田犬彦『ソウルの風景』岩波新書新赤版

41 ※岡部牧夫『海を渡った日本人』日本史リブレット

42  ※土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』中公叢書

43  ※堀田善衛『ミシェル 城館の人 第一部』集英社文庫

44  ※竹前栄治『占領戦後史』同時代ライブラリー

45  ※広井良典『コミュニティを問いなおす』ちくま新書

46  ※※マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』ハヤカワ文庫

47  ※※くらもちふさこ天然コケッコー』1 集英社文庫

48  ※※ヘーゲル『歴史哲学講義』上 岩波文庫

49  ※斎藤美奈子『モダンガール論』文春文庫

50  ※清岡卓行アカシヤの大連講談社文芸文庫

51  ※※田中芳樹夏の魔術講談社文庫

52 ウンベルト・エコ『論文作法』而立書房

53 荒畑寒村『寒村自伝』上 岩波文庫

54 朝尾直弘『日本近世史の自立』校倉書房

55 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍文芸春秋

第1期 松本清張ゼロの焦点』カッパノベルズ
第2期 なし

貧困報道への言論に関する論点について はてなブックマーク別館

はてなブックマーク別館 自称愛国似非保守の言論における誤認と無責任さについて - 書房日記の続き。

その後の情勢としては、ネット上での言論に大きな変化はない。

というよりも、NHK報道・女子高生批判派特に似非保守系言論には、主張に何らの変化が無い、という他ない。女子高生は本人とされるツイッターによるように「浪費」をしており、NHKの報道は「捏造」「演出」「偏向」である、という主張はなお不変であると言える。

一方政治問題としては、はてなブックマーク - 片山さつきさんのツイート: "本日NHKから、18日7時のニュース子どもの貧困関連報道について説明をお聞きしました。NHKの公表ご了解の点は「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなくにおいて、片山さつき参議院議員NHKからの説明を8月22日に受けたことを議員本人が報告した。これ以降、片山議員は本件については支持者へのリプライの形で自らを批判する論者に対し給付型奨学金問題での協力を求めるツイートをしたのを最後に、ツイッター上では何らの発信もなされていない(はてなブックマーク - 片山さつきさんのツイート: "ご理解ありがとうございます。守谷さんも渡辺さんも宜しかったら給付型奨学金を国民各層に広範なご理解を得られるような良い形で実現する為の我々の取り組)。

ジャーナリズムに期待したいのは、まずは片山議員の見解について問うことだろう。この問題について、ここ1週間何も発信しておられないが、どういう活動をされていて現時点でどういう見方をしているのか。

その上で詳しく質問して欲しい点として、22日のNHKからの「説明」について、片山議員が納得したのかNHKは「捏造」を行ったと更に主張を繰り返す立場を堅持しているのか、そしていずれの立場にせよその主張の根拠は何か、ということを挙げておきたい。

そしてそれと関連して、片山議員が「捏造」を既に定まった事実扱いした小坪慎也行橋市議の言動をリツイートの形で紹介し、小坪市議やまとめサイト等の匿名情報を「有益な」情報提供とみなしたことについて、議員自身の見解を問うてほしい。

片山議員について、批判以前にその前提となる取材が余り為されていないというのは残念だけれども、この点に限らずジャーナリズムの論調は、毎日新聞の記事のような報道が幾分例外的ではあるけれど(はてなブックマーク - NHK:「貧困女子高生」に批判・中傷 人権侵害の懸念も - 毎日新聞)、
全体として「貧困」を巡る議論の深化に向かい、その点以外の論点への踏み込みが為されていないように感じるので、以下大まかに気になった点を挙げておきたい。

まず、片山議員のNHKへの「説明」要求自体が、民主主義国家において政権与党議員があからさまに公共放送の番組内容に介入した圧力ではないか、政治と報道の関係において問題を有するのではないか、という論点は、余り活発に取り上げられているとは言いかねる。

そして片山議員に限らず、NHKの報道内容を恣意的ないし「捏造」である、と主張する側の根拠が、ネット上の匿名情報、本人とされるツイッターに限られているという、報道内容の検証を要求する側の根拠の次元が明らかに報道内容自体より客観性を欠く、そのような根拠で「事実」扱いする時点で報道批判とか事実検証に値しない、という点はもっと反批判がなされても良い論点だろうと感じる次第で。

本人とされるツイッターの全体像が提示されず、「浪費」関係以外のツイッター全体も含めて検証した上で「浪費」だと推定するならばともかく、現状では一部のツイッターから「浪費」と断じられている可能性も考慮してしかるべきなのでは。

そして一個人の個人情報を無理やり吟味すること自体が、既に赤狩り的ではないかという論点ですね。貧困について何か主張する時にここまで個人情報の領域まで踏み込んでとやかく言われた時点で、「あなたは共産主義者か」という問いに自ら答えないと罰せられた赤狩り時代を思わざるを得ないという。

更に自称愛国似非保守に限って言えば、女子高生に対する同じ「日本国民」ないし「日本人」に対する連帯感の無さ、これも論点だろうと。普段散々日本人・日本国民の一体性を訴えた挙句、自分と差異があると何かしら理由を付けて容赦なく中傷するのは、全然国家主義者でも民族主義者でもない論調ではないか。女子高生も日本人・日本国民なのだから、と一定の連帯感を表明する右派・保守派の論調が余りにも少ない、と感じざるを得ないので。


たとえ報道・貧困批判側の論調に立つとしても気になるのは、女子高生の「浪費」やNHKの貧困報道への批判は、安倍政権とその支持者たちの路線と矛盾してはいないか、というこれももっと論点となってしかるべきではと。

アベノミクス」で、経済成長→再配分の道しかなく、成長否定派の格差解消論は非現実的とまで論じられていたのに、貧困層の消費増は「浪費」として批判の的なのはどうしてなのかとか、「一億総活躍社会」とか「女性の輝く社会」とかの目標は今回の事例の場合にはどこに行ったのかとか、18歳選挙権で若者の政治参加をという話だったのに女子高生が社会問題について語ったらここまで中傷を受けるようでは政治参加どころではないのではとか、政治姿勢の大元と矛盾してはいないのか、という論点は当然あり得るのではないかと。